1.石畳の温泉街へ
初日 2004年11月13日(土)
湯田中・渋温泉郷というと、信州の北に位置し、今なお古くからある石畳の温泉街を残す町並みとして知られている。
湯田中・渋温泉郷とひとくくりにされるが、その中には
湯田中温泉、渋温泉の他、新湯田中温泉、
安代温泉、
穂波温泉、
角間温泉、星川温泉、神林温泉、
地獄谷温泉などのいくつもの温泉地が含まれる。
そして世界で唯一野生の猿が入浴することで知られる地獄谷温泉のようにぽつりと一軒宿もあるが、そのほとんどは大小の温泉街を形成し、宿泊客をターゲットにした外湯を複数備えている。
いわゆる外湯巡りが楽しめるわけだ。
そしてこれらの外湯だが、基本的に鍵が付いている。
鍵を持つことができるのは、地元の人及びそれら温泉地の旅館に宿泊したお客さんだけだ(例外は千円で日帰り八湯巡りが可能な新湯田中温泉)。
つまり外湯は、各々の温泉地に宿泊して宿にお金を落とすお客さんのみに開放することを前提とし、日帰り客はもとより近隣の他の温泉地に宿泊する人々にも閉ざされていることになる。
いわゆる温泉地の客の囲い込みだ。
なお一部の温泉地では宿泊しなくても外湯の鍵を貸してもらえる手があると言われている。
しかしこのことも多くの問題を含んでいて、あくまでもイレギュラーな方法であることを覚えておきたい。
今まで何度も志賀高原は訪ねているが、目と鼻の先の渋温泉には足を延ばしたことがなかった。
去年の正月に
志賀高原にスキーに行ったときに、よっぽど渋温泉に寄って帰ろうと思ったが、子連れで狭い温泉街の熱湯に入るのを躊躇し、結局
みやま温泉わくわくの湯に入って帰った。
その選択は正しかったと思うが、そのとき以来渋温泉は次回の課題のひとつとなった。
まあ、ほとんど梯子しない我が家としては、立ち寄りでちょいちょいと入って帰るより、いつか泊まってゆっくりしたいなと思っていたわけだ。
もう紅葉の葉もすっかり落ちた11月半ば。
半端な季節に旅行を企画したのは、小学一年生のカナがたまたま月曜日休みだったからだ。
学校の創立記念日。
これが週の半ばだったらクリスマスの
東京ディズニーランド行きというところだが、幸い土日とくっついていたので二泊旅行を企画した(子供たちにとってはディズニーランドの方が嬉しいかもしれない)。
外で遊ぶにも寒く、スキーにはまだ早い。前回の
草津と同じで温泉街なら共同浴場巡りもいいかななんて話になって、渋温泉が行き先として浮上した。
天気予報に一喜一憂。
一週間前の予報では、三日間とも雨だの曇り。近づくに連れて少しずれだしたが、それでもなかなかお天気マークはつかない。先日の草津も雨だったが、カナとレナ、晴れ女パワー、切れちゃったか?
夜が明けて・・・
快晴の関越道を走っている。
「やっぱり旅行に行くのはこんな日でなくちゃ」とパパ。
さすがカナとレナ。
ちゃんと晴れさせたね。富士山くっきりだ。
朝6時、朝焼けの東京を出て、いつの間にか正面に榛名山。
藤岡JCTで上信越道に入ると、今度は妙義山と浅間山だ。
やっぱり今年の紅葉は遅めだったようだ。
もう山はどこも丸はげかと思っていたが、妙義山は渋い色で描かれた油彩画のようでこの秋最後の絢爛な衣装をまとっていた。