ケアンズぷらす > 子連れ旅行記 ケアンズと森とビーチの休日(テキスト版) > 4ケアンズの温泉に行こう-インノット・ホットスプリングス
四日目 4月29日(日)
「朝日が昇るよ」と起こされた。 夜中何度も目を覚ましたからまだ眠い。私の代わりに写真を撮っておいて。 「自分で撮りなよ。昨日とは違う景色だよ。だからこうして起こしてやってるんじゃない」 ええい、恩着せがましい。昨日無理矢理起こしたのは誰だ。 でも確かに昨日とは違った。 やはり空は綺麗に晴れ渡っている。 大気の透明度が凄い。もう、彼方の空まで突き抜けるようによく見える。 森の向こうに地平線のように雲海があった。 バートルフレア山が雲に浮かぶように顔を出している。 幻想的な光景だ。 日が昇る少し前から森は急に騒がしくなる。 競うように鳥が鳴き出し、大合唱になる。 ホーホケキョじゃなくて、ホーホピチョンと鳴く鳥もいる。 なんて楽しい。森の中の家だからこそこんなに沢山の鳥の声が聞こえる。バルコニーに立ってずっと聞いていたい。 ふと気が付くと、バルコニーからすぐ左手に立っている木の葉から雫がこぼれ落ちていた。 朝露? それともまさか・・・雨? 正面は遠くに雲海はあるもののほぼ快晴に近い。頭上も晴れているようだ。後方はツリーハウスが邪魔でバルコニーからは見えない。 雫の落ちる木の上を首を伸ばして見上げると、何か目に見える煙のようなものが流れてくる。 湯気? パパが朝風呂にでも入っているから? ところがこれは本当に雲で、隣の木にだけ雨が降っていたらしい。 一瞬にしてツリーハウス全体が霧のようなものに包まれて、5分もしないうちに抜けた。 私たちを包んだ雲はどこへ消えたのか。いつの間にか何事も無かったかのように晴れ空だけが残っていた。 今の朝靄が嘘でなかった証拠に、まだ隣の木の葉からは雫が垂れている。 水のめぐみを受けて、森全体が潤って生き生きしている。 「昨日の小鳥ちゃんのお墓を作ってあげよう」 パパは言って、拾ってきた木の板に「小鳥ちゃん 天国でもピイピイ鳴いて下さい」と書いた。 「何で日本語なの」とカナ。 でも英語で書いても小鳥ちゃんは英語が読めるわけじゃないから。 パパが地面に穴を掘った。ちょうど小鳥が入るくらいの大きさに。 子どもたちは板に乗せて小鳥を運び、そっと穴の中に置いた。 土と落ち葉を被せて板を置いて、赤い花を少し摘んできて供えた。 「可哀想だよ。どうして死んじゃったの?」とレナ。 さっき屋根の上から流れてきたものはお風呂場の湯気ではなく朝靄だったが、パパは本当に朝風呂に入った。 一緒に子どもたちも。 楽しいらしくなかなか出てこない。 ローズガムズのツリーハウスには大きなバスタブがある。ジャクージ付きのこれもこうした森の家の売りの一つ。 広い窓からは羊歯の葉が見える。 朝食はバルコニーで食べることにした。 朝食ハンパーに付いてきた卵の残りが六個と中途半端。 「何個食べる? 目玉焼きにする? スクランブルエッグにする?」とフライパンを手にパパ。 結局三個ずつ目玉焼きとスクランブルエッグにすることにした。 お手伝いをしてと頼まれてレナはポンと飛び出すトースターをしげしげと眺めた。 爽やかな朝の光の中で朝ご飯。 ああ、この森の中のツリーハウスを後にするのが名残惜しい。 みんなでのんびりと食事をしていると、目の前の木に一羽の小鳥がとまって綺麗な声で鳴き始めた。 羽が渋い黄緑色で頬の辺りがぽっちりと鮮やかに黄色い。 「あの鳥、死んじゃった鳥と同じ種類だ」 そう言うと、カナとレナが、もしかしてあの子を探しに来たのかなと言い出した。 「兄弟か、お友達だったのかもしれない」 「きっといなくなったから心配しているんだよ」 「出ておいで、出ておいでって鳴いているんだよ」 まるで呼んでいるように喉をふるわせて鳴いている。 もうあの小鳥はいないのに・・・。 梢で鳴いていた小鳥は何かに驚いたようにぱっと飛び立った。 日差しが強くなってくると、また昨日と同じ蝶が姿を現した。 朝食の後片づけをしながら、時々バルコニーから外を見ていると、面白いことに気づく。 時々大きな白オウムが一羽だけで森を横切る。 すると何故か必ず30秒ぐらいおいて、ぎゃあぎゃあとけたたましく鳴きながらレインボーロリキートの群が後を追うように同じ方角に飛ぶのだ。 白オウムが先生でロリキートたちが生徒みたいだ。 何度かそんなことがあったので、白オウムの飛び去った後もカメラを構えていたら、案の定ロリキートたちが飛んできた。 それもどんどん近づいて、なんとさっき雫が垂れていた隣の木に次々と飛び乗ってきた。 「カナー、レナー、みんなおいでよ、ロリキートが隣の木に来たよ。いっぱいいる」 よく見るとロリキートは隣の木のピンク色の花にたかっている。ロリキートは甘いものが大好き。ケアンズの町中でも黄色いゴールデンペンダの花によくたかっているところが見られる。 バルコニーからこんなにいろいろな鳥が観察できて、やっぱりローズガムズのツリーハウスは素敵だ。 チェックアウトを済ませてローズガムズを後にした。 ガタガタの乾いた赤茶色のダート。 そう何日も泊まれる値段ではないが、また機会があったら泊まりたい。森の中に泊まる体験は本当に楽しかった。 ラッセルロードにぶつかったところでパパがクッカバラを見つけた。 電線にとまっている。 クッカバラことワライカワセミはよく電線にとまっているのだ。昨日だってそうだった。ケアンズ周辺をドライブするなら電線は要チェックだ。 平たい頭、アイマスクをしたような色、睨むような目つきの悪さ。可愛いな。 一昨年はやっぱりアサートン高原の電線で見つけたものの手持ちのカメラの3倍ズームではぼけぼけで(ちなみにこんな風 ワライカワセミ見ぃつけた)、今回は泣かないようにカメラを新調してきた。 コンパクトデジカメだけど12倍ズーム。 どうだ。 撮れた? さて、本日の予定は、アサートン高原を降りてミッションビーチへ移動すること。 最短ルートはたぶん、マランダからアサートン高原南のミラミラに移動し、そこからパルマーストンハイウェイで海沿いのイニスフェイルまで下る。イニスフェイルからはザ・グレート・グリーンウェイと呼ばれるブルースハイウェイを南下して途中で海沿いに曲がる、とこんな感じ。 マランダからミラミラまでは20キロ。ミラミラからイニスフェイルまでは60キロ。イニスフェイルからミッションビーチまでは40~50キロぐらいだ。まあ、ひたすら走って半日コース。 「ちょっと寄り道していい?」 私が提案したのは本当にちょっとした寄り道だ。 ミラミラから高原を下らずに内陸の方に向けて走って、途中の温泉に寄ってから戻る。えーと、ミラミラから温泉まで60キロぐらいさ。ケアンズから温泉に行くとなると3、4時間掛かりそうだけど、どうせミラミラは通り道なんだし、大した回り道じゃないよ。 オーストラリアにも温泉はある。 よくガイドブックなんかに写真入りで載っているのはマタランカ温泉と言うところでノーザンテリトリーのキャサリン近くにある。 まさかケアンズからほいほいとキャサリンまでは行かれない。 だけどわざわざ行かなくても実はケアンズにも温泉はある。 ケアンズにあるというと誤解があるかもしれないから補足しておく。 えーとケアンズから(ぎりぎり)日帰り圏内にある。 昨日ガイドしてもらったwillieさんは行ったことがあり、河原に湧いている天然の温泉で、建物の中には三種類の温度のお風呂があって一番熱いやつはなかなか適温だったと教えてくれた。 名前はインノット・ホットスプリングス。 地名もそのまんまインノット・ホットスプリングスだ。 パパはあまりいい顔をしなかった。 一刻も早く大好きなミッションビーチのウォンガリンガに着いてのんびりしたいらしい。 子どもたちはもっと嫌な顔をした。 「温泉なんて行きたくない」 でも私たちは今、ケアンズに来た旅行者としてはかなり温泉に近い場所にいるんだよ。 海外の温泉がどんな風か興味有るし、今まで何度か行こうと計画したけどいつも計画倒れに終わっているし、次の機会が二度と来ない可能性だって高いし、ここはえーい行っちゃえって気にならない? どうやって説得したのかよく覚えていないが、ほぼ無理矢理私は行き先をインノットに決めてしまった。 そんなわけで今はミラミラに向けて車を走らせている。 マランダとミラミラの中間にあるターザリ湖の魚の看板が見えた。ここは釣りの名所らしい。 ミラミラの周辺は緑色のパッチワークさながら牧草地帯が広がる。 今日もとても良い天気で、ドライブには最高だ。 インノット方面に向かうならミラミラの町には入らない。手前のハイウェイに突き当たったところを内陸の方へ曲がる。 曲がってすぐにルックアウトはこちらの表示を見つける。これはミラミラルックアウトなので今回は寄り道しないことにした。 ルックアウトを過ぎて道なりに走っていくと、三叉路に出る。右に行けばアサートンやハーバートン。左に行けばレイベンスホーやインノット。 今の時間は11時40分。 左に曲がる。ここから先はまだ知らない道。 さてレーベンスホーというのはアサートン高原の中でも最も南西にある町だ。 ここはアウトバックの入り口になっていて、レーベンスホーから内陸部の1号線を西へ西へと向かうと、インノットを過ぎた後マウント・ガーネット、マウント・サプライズを越して、道はヨーク岬半島の根元を横断するような形でジョージタウン、さらにはノーマントンまで続く。とても普通車で気軽に行かれるような道ではない。 マウント・ガーネットとマウントサプライズの間にはアンダラ・ラバチューブという溶岩の洞窟がありケアンズからのツアーも行われている(但し日帰りは無理だ)。 レーベンスホーの見所は、ウィンディヒル・ウィンドファームと蒸気機関車。 蒸気機関車はすぐお隣のTumoulinという集落まで走っていてこの鉄道はクイーンズランドで最も高所にある鉄道らしい。 ちなみにレーベンスホー自体がクイーンズランドで最も高所にある町だ。標高はおよそ920m。 蒸気機関車を見る余裕は無いと思ったが、ウィンドファームはドライブしているだけで見えると思っていた。 ウィンドファームというのは風力発電のための風車群だ。 ケネディハイウェイからアクセスすると、レーベンスホーの手前で風の丘が見えてくる。 緩いアップダウンの後、背の高い白い風車が見えてくる。 近づいてみると長閑な緑の丘にいくつもいくつも風車が並んでいる様子が分かる。 物凄く違和感がある。 風車はオランダにあるような昔ながらのタイプではなく細い三つの羽が取り付けられたシンプルなタイプだ。 のんびり牛が草を食む牧歌的光景の中に林立する近未来的な風車。 なんて面白い取り合わせ。 だけどケネディハイウェイからだとなかなかいい感じに風車が並ばない。 並んだと思うと横向きだったり後ろ向きだったり。 いい感じにカメラのフレームに収めるのは難しい。 帰りには旧道を通ってみよう。 11時55分。レーベンスホーの町を通過する。 ハイウェイは町の南側を通っていて、町中を抜ける必要はない。 ごく小さな町だ。ここからインノット温泉まで28キロ、マウント・ガーネットまで45キロ、アンダラ・ラバ・チューブまで146キロ、ジョージタウンまで260キロと表示が出ている。 町外れにガソリンスタンドがあった。 ここから先はいつでもガソリンや水が手に入るとは限らない。 ガルフ・サバンナの入り口。 心して進むようにと言われているような気がした。 「ガソリン、大丈夫?」 「まだ大丈夫」 このとき私たちはガソリンのことで後で後悔する羽目になるとは思いもしなかった。 まだまだ道は舗装路だ。 たぶん道路はインノットまでは心配ない。というか、その先もずっと舗装はされているようだが内陸部の道はコンディションがいいとは限らない。 このあたりは非常に綺麗な道で、いかにもアスファルトという色をしている。センターラインも真新しいのか真っ白だ。 そういえば以前、キャプテンクックハイウェイで道路のライン引きを見たことがある。 日本だときっちり曲がらないように測って引くところ、オーストラリアではちょうど運動会のときに校庭に白線を引くのと同じしくみの機械を車にくくりつけて引いているのを見た。 機械をくくりつけた車はただ黙って走っているだけなので、当然走りながら多少は蛇行する。すると白線も車の動きに沿って蛇行する。でもオージーはそんなの気にしちゃいない。 だいいちこの1号線など世界で一番長い国道とすら言われているのだ。そんなのいちいち測ってなど引いちゃいられないってことだろう。歪んだセンターラインもお国柄というものだ。 レーベンスホーを離れて6キロほど行くと、オーストラリアで最も幅の広いミルストリーム滝がある。 まあオーストラリアの中にはまだ人跡未踏の地が残されているようだから、もしかしたら一番ではないかもしれないが、現時点では一番広いということになっている。 もちろん立ち寄っていこうと思っていた。 場所は判りやすい。ちゃんと看板がある・・・が、曲がった先は未舗装のようだ。ミルストリーム・フォールズ・ナショナルパークという国立公園になっている。 ダートコースを1キロ弱走ると駐車場に出た。 何台か車が停まっている。 どうやら最後は徒歩らしい。遊歩道の入り口には滝は340m先だと表示がある。 子どもたちに滝を見に行くかと聞いてみたが、やはり行かないと言う返事だった。私は興味がないならどうせ無理に連れていっても歩きたくないとか言われるだけだから、最初から待っていてもらおうと思っていたが、パパは何度か「一緒に行こうよ」と誘ってみていた。 まばらにユーカリの生えた林の中を舗装された小径が続いている。 真っ直ぐ歩くとすぐに川が見えてきた。川は谷を流れているので遊歩道からは少し距離がある。 遊歩道は下り坂で、川に沿って下流へ延びていた。 先の方から囂々と音が聞こえていた。 真昼の太陽はぎらぎらと照りつけ、目が回りそうだ。朝のローズガムズが涼しかったので私など長袖を着ていた。信じられないくらい暑い。 少し歩くと滝の後ろ姿が見えてきた。今見ている川は、すぐそこでがくんと落ち込んでいるらしい。 滝がよく見えそうな場所に展望台が据え付けてあって、数人の観光客が滝を見下ろしていた。 ようやく展望台に着いた。 「虹が見えるぞ」とパパが教えてくれた。 本当だ。ちょうど太陽の当たる角度が良いらしい。 滝の中央から右下に掛けて淡い虹が架かっている。 一本の滝としてはオーストラリア一幅が広いと言われてもそうかなぁという程度の大きさではあるが、確かに今まで見た滝より迫力がある。 離れているから小さくまとまって見えるが、実際は相当大きな滝のはずだ。 何よりここも周りの景色がいい。 乾いたユーカリの林がいかにもオーストラリアらしい風景だし、滝の周囲に露出した地盤は柱状節理になっている。 車に戻る前にトイレに寄った。 駐車場の近くにトイレの建物があったので。 オーストラリアのトイレは屋外でも結構綺麗なところが多いので安心して使える。 ところがここの場合・・・。 清潔度に問題があるわけじゃなくて、鍵に問題があった。 トイレのドアの鍵が壊れている。 代用品は何だと思う? 石だ。 足下に適当な石が転がしてあって、どうやらそれをドアの前に置いて用を足せということらしい。 凄いなぁ。アバウトだなぁ。流石はオーストラリアだな。 仕方がないので石を置いて何とかした。 誰かが知らずに外から開けようとしたら、石にドアがぶつかってがくんとなって止まる仕組みだ。原始的すぎる。 出るときも足で石を転がして元の場所に戻しておいた。 あんまり可笑しかったんで石の写真も撮っておいた。 再びケネディ・ハイウェイに戻って・・・。 しばらく道は一本道だ。実際はしばらくなんてものじゃないが。 ほとんど対向車も無い。 もちろん家の影もない。 ただ道だけが延びている。 辺りの景色も単調だ。 どこまでもどこまでも乾いたユーカリにブッシュファイアの痕。 ユーカリの足下は草原。 マリーバの景色にもよく似ているが、蟻塚だけがない。 おかしいな、こんな景色ならいかにも蟻塚がありそうだ。そう思って探してみると、時々ぽつりぽつりとあった。でもマリーバに比べたらずいぶん少ない。 何故か時々アスファルトの色が変わる。 白っぽいアスファルトになったり、オレンジがかったアスファルトになったり。道の途中でいきなり切り替わる。色を塗り分けたみたいに。 「オレンジ色のはここら辺の赤土を混ぜたんじゃないの?」といかにも適当なことを言うパパ。 12時半過ぎ。 まったく唐突にインノットに着いた。 何もなかった景色の中に突然建物が見えたと思ったら、もうそこがインノットの中心地だった。 橋を渡るとガソリンスタンドがあって、それからただっぴろい駐車場とキャラバンパークのようなもの。たぶんこれがインノット・ホットスプリングス・ビレッジだと思われる。 といってもどうして良いのか判らない。 日本の温泉ならドアを開けて帳場に行き「日帰りで入浴できますか?」とかなんとか聞くところだが、海外の温泉なんて生まれて初めてなもので。 駐車場の中央に枝を四方に広げた大きなユーカリの木が一本立っていた。 その木にばさばさと小鳥が数羽飛んできた。 思わずカメラを手に追いかけてしまう。 わっ、凄い。この鳥、目の上が青い、セルリアンブルーだ。おまけにクッカバラに負けず劣らず目つきが悪いぞ。 妻が鳥を追いかけていってしまったので、パパもどうしたものかと思ったらしい。 そうこうしていると、たまたま隣に停まった車から日本人らしい女性が降りてきた。車自体はとんでもなくオンボロなので日本からの旅行者には見えない。たぶん現地在住の人だろうと思ったらワーホリ中の人だったようだ。 パパはその人に聞いて、とにかく近くに温泉の川が流れていてそこに入れるらしいという情報を得た。 「道を渡ったところらしい」と言って、私を手招きして歩き出した。 道を渡ったところはもう本当に田舎の村だった。 ぽつりぽつりと木立の間に質素な家が建っている。 パパは真っ直ぐ歩いていこうとしたが、どう考えても川は左手に流れている風だったので私は途中で左に曲がった。 すぐに土手に出た。 青灰色に濁った小川が流れている。 この色は、まるで日本で言えば万座とか白骨温泉みたいな感じだ。ホントにこれ、温泉のせいで色がついているのかな?? だとしたら凄いやとそっと手を入れてみたら・・・あれ? 全然熱くない。ぬるいと言えば微妙にぬるいが温泉と言えるほどの温度はない。 ここ、違うよ。 川はきっとこの川でいいんだろうけど、場所がずれている。入浴できるところはもっと違うところのはず。 しばらく辺りをうろうろしてみたが、仕方がないのでもう一度道を渡って駐車場の方に戻った。 よく考えたらこの駐車場に来るのに私たちは橋を渡った。ということはあの橋の下に川が流れているんじゃないか。 今の場所は橋の下流だったから、色からして、温泉は上流だ。キャラバンパークのようなホットスプリングス・ビレッジだって上流側に建っていることだし。 橋の上流側は広い河原になっている。 河原というか、足下は砂地だ。 そこを巾1mほどの乳白色の小川が流れていて、対岸は森だ。 砂地の河原をぞろぞろと歩いていく一行がいる。子連れのグループだ。もしかしてこの人たち、河原で入浴するの? ・・・うんにゃ。 なんかお弁当を広げだした。どうやらピクニックしているらしい。 これは益々河原で入浴というのはハードルが高くなったぞ。 呑気にランチしているオージーたちの目の前でぼっちゃんと入浴なんかしたら、もう思い切りいい見せ物になってしまいそうな気がする。 さて、確かにこの辺りの川の水はかなり温かい。 さらに歩くと小川に木の枝を渡した誠に原始的な橋があり、その向こうに源泉湧出所があるようだ。 タンクがあってちょろちょろとお湯が溢れている。浅いところでちょっと触ると確かに少し熱い。 タンクには金網が張ってあってWARNING HOT WATERと書かれている。 ただ不思議なのはそのタンクよりも上流から既に川の水が青白く濁っていることだった。 この水の色は温泉成分によるものなのかよく判らない。 おまけに河原の川のそばにはところどころ水たまりのようになっている場所があって、これがまた源泉タンクから溢れるお湯以上に熱い。 どう考えてもここは河原のあちこちから温泉が湧いている。源泉湧出箇所は一ヶ所だけではないようだ。 パパはいったん車の所に戻った。 どうするつもりだろう。 私はできればあの河原で野湯入浴じゃなくてインノット・ホットスプリングス・ビレッジ内でちゃんとした浴槽(水着着用だと思うが)に入りたい。 だって河原は景色が良いけど落ち着かないよ。道路から丸見えだしギャラリーもいっぱいいたよ。 パパはやにわに水着に着替え始めた。 「どうするの?」 「入るよ」 えっ、あそこで!? 「わ、私は・・・?」 「やめなって。俺が代わりに入ってやるから」 後でパパは「入ればって言ったのに自分で入らなかったじゃない」なんて尤もらしいことを言っていたが、とんでもない。このときの真実はこういうことだった。 私はまだ迷っていた。野湯は野趣溢れるけど必ずしも快適ではない。日本のようにある意味、野湯に理解のある土地柄ならいいけど、外国でいきなり道ばたで入るのはやっぱり抵抗あるよー。一応、私、女性だし。 そもそも着替えるところから悩むところだ。駐車場周辺にも人が出入りしているから車の中で着替えるのも難しいし、水着に着替えるだけなら何とかなるとしても、その後ぬれた水着を脱いで洋服に着替えるのはもっと大変だ。昔、そんなこんなでなかなか着替えられず、北海道のカムイワッカ温泉や相泊温泉の野湯に入った後、結局酷い熱を出して帰りのフェリーの中でうなされ続けたことがある。これってかなりトラウマになっている。 そんな私の気も知らず、パパはさっさと河原に戻って入浴に適した湯溜まりを物色し始めた。 河原でピクニックしていたオージーは、いきなりTシャツに海パン姿のジャパニーズがやってきてじゃぶじゃぶ小川の中に入っていったのを面白がって見ていた。 適当な湯溜まりを見つけた。これらは誰かが掘ったり土手を積み上げてお風呂状にした名残らしい。 「あちいなー」 手を突っ込んで考えている。 それから両手で川の水をすくって湯溜まりに流し込み始めた。温度を下げているのだ。 適温になったところでTシャツを脱いで寝転がる。 深さは寝ころんでぎりぎりぐらい。誰かがわざわざ置いたのか、頭を乗せるのに適当な石もある。 でもそう長くは入っていられなかった。 やっぱり底から湯が湧いているのでどんどん熱くなるのだ。 「あちーっ」 パパは身を起こした。 「もう限界」 パパはこの温泉、硫黄の臭いがしたと言っていたけど、両手ですくって臭いを嗅いだぐらいではするかしないかという程度だった。 肌触りはさらさらとする感じがある。 私は手を入れただけだけど。 今日の天気はまたまたこれでもかという見事な快晴。 なので本当に暑い。汗っかきのパパなどお風呂から出たばかりだと言うのに、いや出たばかりだからこそ益々暑くなってあっと言う間に汗だらだら。 私にとってもオーストラリア滞在中、一番暑く感じたのがこの日のインノットだった。 車に戻るとカナがトイレに行きたいと言いだした。 お腹も空いていると言う。 駐車場のすぐ前にインノット・ホットスプリングス・レジャー&ヘルスパークと書かれたカフェがあったのでそこに入ることにした。トイレもそこで借りた。 張り出されたメニューを見て考える。バーガーもあるみたいだけど、みんなで分けられる方がいいから、フィッシュ&チップスにしよう。それからパイとプルートドッグ。飲み物は冷蔵ケースから自分で取り出してカウンターで買うようになっている。ミネラルウォーターと怪しげなお茶のペットボトルを選んでみた。 テイクアウトでお願いと伝えたつもりが、実はうまく伝わっていなかった。出来上がるまでそこの席で待っていてくれと言われて、しばらく待っていると運ばれてきたのは白い陶器の皿に盛られた料理だった。 「パパ、ごめん。店の中で食べてもいい?」 「ああ、別に良いよ」 フィッシュ&チップスは予想通り大盛り。プルートドッグって何だろうと思ったら普通のアメリカンドッグだった。 怪しげなお茶はネスレのネスティーでラベルにGreen Teaと書いてある。ほほう、グリーンティーね。ここまではいい。こっからがオーストラリアチックだ。 なんとマンゴーフレーバー。 マンゴーフレーバーの緑茶。トロピカルフルーツが何より苦手なパパは絶対に飲まないと宣言した。 日本人だったら紅茶ならまだしも緑茶にマンゴーの香り付けをしようとは絶対に考えないよな。 でもこれはなかなか正解。私も子どもたちも気に入った。緑茶らしさはほとんど残っていないが、普通のマンゴージュースがこってり濃厚すぎるのに対し、すっきりさわやかなマンゴージュースという感じ。 ごく普通の速度で楽しみながら食べていたら、パパが早くしないと間に合わないぞと言い出した。 「ウォンガリンガのチェックインは5時までだ。5時を過ぎるとオフィスが閉まってロラリーたちが帰ってしまう。途中で買い出しもしなくちゃいけないし、急いでミッションビーチに移動しないと」 えっ、もうそんな時間なの? ミッションビーチまで何キロあるんだっけ? 慌てて時計を見る。午後1時半を回っている。 でもでも、私はまだインノット温泉に入ってないよ。 はるばるここまでやってきたのに、入ったのはパパだけ? どうやって施設内の温泉に入ろうかと考えていたのに、もう全然時間が無いわけ? そ、そんな~。 食べ終わったので食器を返しに行って、カウンター内にいたおばさんにごちそうさまと伝えようと思ったのだが、おばさんは後ろ向きになって豪快にも何かの袋を歯で噛みちぎろうとしているところだったのでやめにした。 さよなら、インノット温泉。 道のりは遠かったので二度とパパは連れてきてくれないような気がする。 心残りいっぱい。 快適じゃないかもとか、見せ物になるかもとか考えず、とにかくぼっちゃんと入ってしまえば良かったのか? こんなに時間が足りないとは思わなかった。 ああ、もっと何かやりようもあっただろうに。 次に来るときは最初から下に水着を着てこよう。 おっと、また来る気なのか? パイだけは食べきれず、車の中に持ち帰った。 ウォンガリンガに着いてから食べてもいいと思っていたが、車中で子どもたちが食べてしまったようだ。 パパが間に合わないかもしれないなんて言うから気が焦る。 同じ道を通るときは行きより帰りの方が早く感じるものだから、あっと言う間にレイベンスホーまで着いた。 レーベンスホーからミラミラまでは2種類のルートがある。 一本は行きに通ったパルマーストンハイウェイとケネディハイウェイを使う北側ルート。 もう一本は旧パルマーストンハイウェイを使う南側ルートだ。 地図で見る限りは多少は旧道の方が道がくねくねしているが直線距離にしたら近そうだ。 せっかくだから行きとは違う道を通って帰ろうと思っていた。 旧道の方にはパピナ滝やソーイタ滝といった見所も多い。 旧道に入る曲がり角は行きに確認しておいた。 入り口の表示に「シーニック・ロード」だと書かれている。 なんとなく期待できそうだ。 道はきちんと舗装されているが細い。 対面通行が難しいような細さで、しかも蛇行している。 蛇行しているところがいかにも旧道らしい。 緑色の丘を縫うように伸びているところは、如何にも絵に描いたような田舎道で晴れた日の午後のドライブには最適だった。 旧道に入ってすぐに風車群が見えてくる。 行きにも見たウィンディ・ヒル・ウィンドファームだ。 さっきのハイウェイ沿いの方が風車には近い場所を通るはずだが、こちらの旧道の方が風車の眺めも断然良い。 何しろ風車が前向きだ。それに田舎の一本道や緑の丘越しに並んでいるのが見えて、レイアウト的にもばっちり。 おまけに最新のクリーンエネルギーを生み出す巨大で近未来的シルエットの風車の足下で白黒のホルスタインがねそべっていたりして不思議な光景だ。 綺麗綺麗、素敵素敵と景色に喜んでいたのもつかの間、見通しの悪いくねくね道は予想以上に時間とガソリンを消費した。 道は酪農が盛んな丘陵地帯と熱帯雨林の森の景色を繰り返しながら伸びていたが、とにかくどこまで行ってもミラミラに着かない。蛇行部分を差し引いてもハイウェイと距離的には違わないはずだが、いつ対向車が来るかと思うとスピードが出せない。 もう滝への寄り道どころじゃない。 もうミラミラか、今度こそミラミラかと思っても、あと10キロ、あと5キロと無情な表示板。 運転席でパパがかなりイライラしてきたのが判って話しかけるのも憚られる。 ようやくミラミラの町が見えてきたのは2時40分過ぎのことだった。 ミラミラには思い出がある。 一昨年、ミラミラ近くのアイカンダパークという農場に私たち一家はファームステイして、二泊三日の短い滞在期間だったが、驚くほど沢山の驚きや喜びをもらった。 アイカンダパークはその後売却されたと聞いた。 あの日太陽の照りつけるミラミラで別れたシンディとセイラが、そしてディヴィッドとロッキーが今どこで暮らしているのか、時々知りたくなる。 私はミラミラは通過するだけだと思っていたが、パパはガソリンスタンドを探していた。 メインストリートに車を進めると、通りはがらーんと静まり返っている。 ミラミラは町と言ってもアサートンやマリーバと違ってそんなに大きいところではない。 植え込みのある中央分離帯の両側に、数えるほどの店舗が並んでいるだけ。周辺にはミラミラフォールズやミラミラルックアウトもあってとても綺麗なところだが、緑溢れる自然の他は何もないに等しい。 それでもメインストリート沿いに二軒、ガソリンスタンドがあった。 といっても専門のガソリンスタンドではなく、スーパーマーケットや土産物店の軒先に給油の装置が置かれているようなレベルだ。 ところがどうも様子がおかしい。ガソリンスタンドもガソリンスタンドを置いたスーパーマーケットもひと気がない。どうやらクローズしているようだ。 もう一軒のガソリンスタンドにも行ってみた。やはり電気が消えている。「OPEN 5pm TODAY」の手書きの張り紙。 しまったー。 今日は日曜日だ。 日曜日は基本的に店はお休みなのか。後から見た方のガソリンスタンドは夕方には店を開けるらしいがそれじゃ全然間に合わない。 ちょうど眼鏡をかけた奥さんが通りかかった。 パパは急いで車を降りて聞きに行く。 奥さんが首を振ったり遠くを指さしたりしているのが見える。 車に戻ったところを聞いてみると、やっぱり今日は日曜日でお休みで、ハイウェイ側にもう一軒だけガソリンスタンドがあるけどそこが駄目ならもう無いという話だった。 パパは教えてもらった店を探した。 ハイウェイに戻ったところでもう一軒のガソリンスタンドはすぐに見つかった。 でもこれこそ店と言うより何だか個人の庭先に給油機を置いているだけのようなところだった。しかもやっぱりクローズしている。 駄目だ。 ミラミラには日曜日に給油できるスタンドは一軒も無いようだ。 三軒もあるなら一軒ぐらい差別化を図って店を開ければいいんじゃないかと思うのだが、それは日本人の感覚なのだろう。 「インノットで入れてくれば良かった」とパパ。 確かにインノットではガソリンスタンドの目の前に車を停めていたんだし、それを言うならレーベンスホーのガソリンスタンドだってあった。まさかミラミラで給油できないとは思わなかったのが敗因だ。 「それにあの旧道、あんなにガソリンを消費するとは思わなかった」 そりゃすいませんでしたね。 「どうするの?」 「・・・」 ミラミラからアサートン高原の他の町に移動する時間は無いし、ミラミラ同様日曜日で閉まっている可能性だってあるからリスクが高い。 「なんとかイニスフェイルまで行こう」 それしか残されていなかった。 ミラミラからイニスフェイルまでは約60キロ。 その行程のほとんどは高原から海へと下るパルマーストン・ハイウェイだ。 今まで二度ほどこの道を通ったことがあるが、幸いにしてここは緩い下り坂が続く。急なカーブもない。ガソリンの消費量は最小限に抑えられるだろう。 パルマーストン・ハイウェイは快適だった。 青空にぽかりぽかりと白い雲が浮いている。 何故か私たちの中でミラミラ辺りのイメージはこれで、緑の丘に青空と白い雲。これがイニスフェイルまで下ると雲は消えて突き抜けるような怖いくらいの青空になる。そう、いつもだ。 緑の丘陵地帯の景色は、やがて鬱蒼とした森に代わる。 ここはウールーヌーラン・ナショナルパーク。 バートルフレア山とベレンデンカー山の二つの山を中心とした熱帯雨林茂る大きな国立公園だ。 ハイウェイはこの国立公園の南端を分断するように走っていて、イニスフェイルの手前でブルース・ハイウェイとぶつかる。 この道の途中にクラウフォード・ルックアウトという場所がある。 ちょうど眼下にノースジョンストン川を見下ろすロケーションだ。 クラウフォード・ルックアウトは既に2回見ているのでもういいと思っていたが、ルックアウトの先にとても美味しい紅茶の無人販売所があるとwillieさんに教えてもらっていた。 「パパ、この辺りに黄色い箱みたいなのがあったら教えてね」 「はいはい」 私はコーヒーは飲まないが、紅茶は大好き。毎朝朝食には紅茶を飲まないと気が済まないほど紅茶好きだ。 何としてでも無人販売所を見つけてやろうと目を皿のようにして路肩を凝視し続けたが、何故かついに見つけられなかった。 途中で紅茶農場はこちらといった看板は見かけた気がする。 でもとにかくガソリンの残量に気を取られていたパパは最もエネルギー効率の良い速度を遵守してひたすら走り続けたので、速度を落とすとか、途中で停まるとか、引き返してみるとかいう選択肢は無かった。 いつの間にかぽつりぽつりと民家が見え始めた。 バナナ畑。さとうきび畑。 そしてついに右手の地平線近くに、町と海岸線が見えた。 もうまもなくイニスフェイルだ。 パルマーストン・ハイウェイがブルース・ハイウェイに突き当たるT字路には、左へ行けばケアンズ、右へ行けばイニスフェイルという標識がある。 ここはちょうど標識の後ろに等間隔に椰子の木が植えられていて、その後ろにぎっしりとバナナの木が植えられている。 背景が青空だとこれらがマッチしていかにも南国のハイウェイといった景色になる。 ところが、椰子の木の何本かは頭の部分がない。幹だけだ。 「もしかして例の去年のサイクロンで吹っ飛ばされた?」 「もうっ、何でもサイクロンのせいにするんだから」 果たして嘘か本当か? ブルース・ハイウェイに入って直ぐにガソリンスタンドを見つけた。 ミラミラのそれと違い、ちゃんとしたガソリンスタンドだ。もちろん日曜日でも営業している。 ああ良かった。これで一安心。 ガソリンメーターの針は既に目盛りの部分を通り越して、エンプティのEの字の真上に来ていた。 バナナ畑を横目で見ながらイニスフェイルの町に入る。 ここではガソリン給油の他にもう一つ用事がある。食糧の買い出しだ。 ミッションビーチまで行ってしまうとスーパーマーケットと言う名の食料品店は一応、ミッションビーチとウォンガリングビーチそれぞれのメインストリートにある。でも規模はとても小さいしお値段も観光地価格。必要最低限のものだけ手に入れるべきと思った方が良い。 イニスフェイルならこの辺りではケアンズに次ぐ大きな町なので、スーパーマーケットも銀行もディスカウントショップも何でも見つかる。 ところが、だ。 イニスフェイルの町中も閑散としていた。 ああ、しまった。 だから今日は日曜日だったんだ。 確か前回も同じパターンだった。アサートン高原からミッションビーチに移動する日が日曜日で大手スーパーのコールズが開いていなかった。 オーストラリアのスーパーマーケットは平日は朝から晩まで開いていても、土曜日は夕方には店じまいし、日曜日は閉まっているところが多い。 なんの。こんな時の助っ人はいつものIGAだ。 小さな町にも店舗の多いIGAは7デイズ、いつでもオープンがモットー。 イニスフェイルにもあったはずだ。前回も結局IGAで買い物した記憶がある。 またまた、ところが、と言ってしまう。 何故か今日はIGAもクローズしていた。 どうしてだろう。 頼りにしていたのに。 途方に暮れている暇は無い。時間があまり残されていないのだ。 仕方がない。多少割高でもウォンガリングビーチのスーパーに行こう。 そうと決まればイニスフェイルに用は無い。 どんどん先を急ごう。 ここから先の道は本当に平坦だ。 一直線というわけではないけれど、アップダウンはほとんど無い。 フラットな土地にバナナ畑とさとうきび畑が並んでいる感じ。 空の広さを感じる。 砂糖博物館のあるモーリリアンを過ぎて、ムーダリングポイントワイナリーが近くにあるシルクウッドを過ぎて、エル・アリッシュのところで海側に曲がる。 ミッションビーチまでは軽く一山越えなくてはならない。 ダンク島など海の方から海岸線を見ればよく判るが、ビーチの後ろはごく低い山地になっている。 山の中に入るとカソワリーに注意の看板が目立つようになる。 ミッションビーチ周辺はカソワリーの故郷とも呼ばれ、この世界で三番目に大きく、もしかしたら世界で一番派手な鳥が生息していることでも知られる。 そうは言っても日常的に目撃されているわけではない。沖縄のヤンバルクイナほどでは無いにしても、リゾートに遊びに来た観光客が目にする機会はかなり少ないらしい。 この山と森を越えればミッションビーチだ。 パパはもう待ちきれない様子。 エル・アリッシュ・ミッションビーチ・ロードからアクセスすると、一昨年みんなで歩いたレーシークリーク・ウォーキングトラックの入り口など過ぎて、カソワリードライブという道とぶつかる。 直進すればミッションビーチに着くが、ウォンガリング・ビーチやサウス・ミッションビーチはもう少し左に進まなくてはならない。 カソワリー・ドライブは、そのままウォンガリング・ビーチのショッピングセンターの前まで続いている。 ウォンガリングビーチのショッピングセンターはミッションビーチ・リゾート・ショッピング・ビレッジという名前で、見上げるほどに巨大なカソワリーの像が目印だ。 あまり時間がないので既に道々、必要なものをリストアップしていた。 パンに肉に野菜、あとミルクと。 パパはサーモンスライスも買っていて、これはなかなか正解だった。 そうそう、卵も。 いくつか種類があったけどちょっと高めでもYAMAGISHIさんのハッピーエッグを買った。イニスフェイルに美味しい卵を作る日本人養鶏家がいると聞いたことがあるから。 Reidロードは海岸と並行に走る通りだ。 左手の木立のまにまに青い海。 ウォンガリンガが見えてきた。 私たちの隠れ家が。 到着時間は5時15分前。 結構ぎりぎりだった。 インノットからの道は遠かった。途中で冷や冷やすることもあったことだし。 カナもレナも後部座席で寝ていたのでパパが一人でチェックインに行った。 この辺は後からパパから聞いた話なのだが、オフィスに行くとまだ5時前にも関わらず閉まっていたそうだ。 そしてドアの所に封筒が一枚貼り付けられていた。 封筒の宛先はパパの名前。差出人はウォンガリンガのロラリー。そして中には手紙と鍵。 あなたの部屋は9号室だからこの鍵で入ってねと書かれていて、9号室までの案内図が書かれている。 案内図も手書き。判りやすいように海やプールの位置までちゃんと書き込まれていた。 適当なんだか几帳面なんだか。 でもパパがその手紙をしげしげと眺めているうちに、別の部屋で仕事をしていたロラリーがこちらに気づいて駆け寄ってきておしまい。 危うく抱きつかれるところだったよ、とはパパの談(ホントか?)。 そんなわけでチェックイン手続きを済ませたパパがロラリーと通りに停めたままの車の所に戻ってきた。 「ハロー、お久しぶり」 相変わらずちょっとドスの利いた低い声だ。でもセンテンスごとにはっきりと区切って発音してくれるので彼女の英語は理解しやすい。 ロラリーは金髪をショートカットにした骨っぽい美人。背が高くて細身。カナよりふたつ年上の娘がいる。 颯爽とミニスカートをはきこなしているが、足下は裸足。 ケアンズ辺りでは裸足は珍しくない。、ビーチや芝生なら気持ちいいかもしれないけど、一昨年ファームステイしたときは農場の子どもたちは泥の中でも客人のベッドの上でもお構いなしで歩き回っていたことに驚いたし、大人でも焼けたアスファルトの上でもショッピングセンターの中でも裸足で歩き回っていて問題ないらしい。 まあシドニーではかっちりしたスーツにビーサンで出勤するらしいし、中国ではパジャマで外出する人が珍しくないらしいからこれもまた、お国柄というものか。 ロラリーは私たちを伴って9号室の階段を上った。 ウォンガリンガ・ビーチ・アパートメントはウォンガリングビーチの目の前に建つレンタルのアパートだ。 それぞれ2階建ての棟が四つほど独立して並んで建っていて、2階の部屋は外階段から昇るようになっているから、1階と2階とどの部屋に泊まってもプライバシーが保たれる。 2階のバルコニーからは木立越しにビーチが見え、1階の庭からは歩いて10秒でビーチに出ることができる。 共通の設備としては「く」の字型のプールと、プールサイドの管理オフィスがある。 アパートを管理しているのはウェンディとロラリーというしっかり者の二人の女性。 昼間管理オフィスを訪ねれば、二人のうちどちらかがデスクに座って「ハイ、今日は何のご用かしら?」と笑顔と共に迎えてくれる。 9号室というのは一昨年私たちが泊まった8号室の隣の棟の2階だ。 ちょうど私たちの滞在中は中年の女性三人組が使っていて、あっちの部屋も素敵だなと思っていたところだ。 ウォンガリンガは部屋ごとに間取りやインテリアが異なる。 9号室のある棟は一番管理棟から遠く、また一番バルコニーが海側にせり出している。 リビングは8号室同様、広々としていて床が石張り、窓が三面にあり採光が良くて明るい。 家具は藤製でアジアを意識したファブリック。 ドアの横に置かれた家具には中国風の人形の形をしたブックエンドが飾られていて数冊の本が並んでいた。 キッチンは冷蔵庫、流し台、電気コンロ、オーブン、レンジ、食器棚、そして食器洗浄機も揃っている。 天井の高い廊下の先にはダブルベッドのベッドルームとツインベッドのベッドルーム。案の定、ダブルベッドの方は子どもたちに取られてしまった。 ダブルベッドにはグリーンのベッドカバーとブルーのピロー、ツインベッドにはブルーのベッドカバーとグリーンのピローだ。 バスルームはローズガムズと違ってシャワーが独立してはいないけれど、ちゃんとバスタブがある。 洗濯機と乾燥機は戸棚の中に隠されている。 リゾート生活に必要なものは全部揃っている。 完璧! ところがレナがしきりと私の服の裾をひっぱる。 「何?」と聞いても泣きそうな顔で首を横に振るばかり。 「だから何?」 「あれが無いよ」 「あれって何?」 「・・・ブランコ」 子どもたちがこのウォンガリンガが気に入っている理由は、いつでも入れる素敵なプールがあることと、お部屋にブランコがついていることだった。 そうだ。一昨年の8号室にはブランコのように揺れる長椅子があった。海側じゃない方のバルコニーに置いてあった。確かにこの部屋には見あたらない。この部屋のセカンド・バルコニーには、大人っぽい籐の椅子と、貝の飾りが置かれた硝子のテーブルしか見あたらなかった。 ちらっと窓越しに隣の8号室を見ると、以前はセカンド・バルコニーに置かれていたブランコが今はビーチを臨むメイン・バルコニーの隅に置かれているのが見えた。 「この部屋にブランコは無いんですか?」 パパがロラリーに聞いてみた。 ブランコじゃ通じなかったみたいだ。パパはスゥイング・チェアーと言い直した。 「ああ、8号室にしか無いのよ」 それを知らされてショックを受けるレナ。 「前と同じ部屋に泊まりたい」 それは無理だ。隣にはもう別のお客さんが泊まっている。 困ったわねという顔をしたロラリーは、ビーチの方を指さした。 ビーチに出る小径の所に木の枝からロープを垂らしバーを結びつけた素朴なブランコが下がっている。 「あれで許してよ、ねっ」 買ってきた生鮮食料品を冷蔵庫にしまっていると、子どもたちが呼びに来た。 隣の8号室の例のブランコに鳥がとまっているよと。 カメラを持って見に行くと、確かにくちばしの青みがかった茶色い鳥がブランコの背もたれの上にちょこんととまっている。何だかそこがえらく気に入っているみたいで、時々飛び立ってはまた戻って来る。 隣室は今は留守だ。 ロラリーに聞いた話によると、日本人の一家が泊まっているらしい。ミッションビーチで日本人に会うのは珍しい。明日には会えるかもしれない。 ここでひとつ困ったことに気が付いた。 日本からサンダルを持ってこなかった。 バードウォッチングに行ったりウォーキングトラックを歩いたりするときのことを考えて、運動靴は履いてきた。GBRクルーズに行ったりシュノーケルしたりするときのことを考えて、水はけの良い素材でできたマリンシューズも持ってきた。 あとは、普段、町やビーチを歩くときに使うサンダルだけ。 歩きやすくてもウォーキングサンダルみたいなのじゃ雰囲気でないし、デザインに凝ったサンダルだと歩きにくいし、ビーチサンダルだとお洒落したいときにさまにならないし・・・悩んだ末、結局スーツケースにしまうこと自体を失念してしまった。 今ここで、ビーチやプールサイドにはいて出る靴がない。マリンシューズはフリーマーケットで200円でゲットしたしろものなので見た目が既にぼろっちく、サイズがぴったりすぎて窮屈なのでできれば普段遣いにはしたくないのだ。 ・・・。 そうか、悩むことはない。 裸足で行こう。 ここはオーストラリア。ロラリーだって裸足だったじゃない。 私はビーチに出て写真を撮りまくり、子どもたちは早速水着に着替えてプールに繰り出した。 ほぼ一日車に揺られっぱなしで、すっかり飽き飽きしていたらしい。 パパがプールの水に触って、意外と温かいからGOサインを出した。 もう夕方で日差しが弱くなっている。 プールのある辺りは既に影になっている。 でも二人は気にしなかった。水着になって慣れ親しんだプールに駆けていき、ぼっちゃんと飛び込んだ。 このプールはかなり深くて水深1メートルから1.8メートルぐらいある。 カナもレナも25mは余裕で泳げるので怖がらない。ビート板やヌードルといった浮き具も用意されているのでそれで遊んでいた。 ビーチは木々の影が長く伸びていた。 遠くに散歩している人のシルエットが見えるだけで後は誰もいない。 正面に丸い月。 右手に緑豊かなダンク島。 私がこのビーチを好きな理由の一つはナチュラルなことだ。 ビーチからは海と島と木々しか見えない。 ミッションビーチには多くの建物が建っているはずだが、それらは木に隠されて視界には入ってこない。 うわぁい、やっとミッションビーチに戻ってこられたぞー。 プールではカナとレナが遊んでいたが、そのうちにロラリーの娘のBちゃんが加わった。 加わったといっても一緒に遊んでいるわけではない。 お互いに距離を置いて別々に遊んでいる。 Bちゃんは顔はロラリー似の美人だが、性格は姉御肌の母と違いとってもシャイだ。 目があったので手を振ると、ちょっともじもじした後恥ずかしそうに手を振り替えしてくれた。後でパパが私たちのことを覚えているかと聞いたら覚えていると答えたそうだ。 そのうちにもっと人数が増えてきた。 Bちゃんと同じくらいの年の活発な男の子が二人と、レナより少し小さいくらいの大人しい女の子が一人来た。 後から来た三人はウォンガリンガに泊まっている兄弟か友達同士のようで、これまた男の子は男の子だけでちょっと乱暴な遊びを、女の子は一人ずっと離れたところでもくもくとバケツを使った遊びをしている。 狭いプールで四つの勢力圏ができている。 みんな互いを意識しているのだが、なかなか交わろうとはしない。 やっとそのうちに男の子たちとBちゃんが一緒にビーチボールで遊び始めた。 パパが、Bちゃんはお客さんと仲良くなってもすぐにみんな帰っちゃうから寂しいだろうねと言った。 完全に暗くなるまでプールで遊ばせた後、お風呂で子どもたちを温めて夕御飯にすることにした。 スープとパスタとサラダ。 サラダに乗せたスモークサーモンが美味しい。 困ったことと言えば虫が多すぎたこと。 ケアンズでは家の中に虫が入ってくることなんて日常茶飯事で気にしてたらやっちゃいられないが、ここは多すぎた。何日か9号室を使っていなかったせいか、天井の灯りの近くには嫌になるほど細かい虫がいて、油断すると皿に落ちてくる。 そんな感じで虫には閉口したが、これは初日だけで翌日からはずいぶん数も減った。たぶん天井に住み着いたゲッコー(ヤモリ)が活躍してくれたのだろう。 夕食後は夜の海岸へ散歩に。 真っ暗な中、波が打ち寄せる。 正面に灯りを沢山灯した大きな船が見えた。 パパが「ダンク島の豪華客船じゃないの?」と言った。 もしかしたらあれかな。一昨年、ロラリーがダンク島から夜、ゴージャスな船が出るって言って、待っていたけどついに来なかった・・・。 「ダンク島の客は週末の夜には船でパーティーでも開くのかな」 かもね。 でも私たちにはミッションビーチの砂浜に置かれたベンチで波の音を聞きながら星を見ているだけで十分だよ。 五日目「ミッションビーチの休日」に続く・・・ |