2.雨のアサートンテーブルランド
二日目 4月29日(金)
ケアンズは雨だった。
いや、それはいつものこと。
何故かカンタス機がまだ夜も明けてない真っ暗な空港に滑り込むとき、いつも窓の外はぬれている。
たぶんモーニングシャワー、これから朝日が昇るとともに晴れてくる・・・。
いやいや、晴れてきてくれなければ困る。
いつも祈るような気持ちでそう思う。そして子連れで行き始めてここ二年、その祈り通りに晴れてくれた。子供たちは晴れ女なのだ。
そうはいっても今年もまた晴れるという保証はない。
しかも時期は4月末。まだ雨期を引きずっているかもしれない。少なくとも統計上はまだまだ降水量が多いはずなのだ。
真夜中、寝ぼけてぐずるレナに業を煮やし、パパはママに座席の変更を願い出た。
仕方ない。パパは運転手だ。
諦めて最後尾のレナの隣の席に移動すれば、本当にこの席ってリクライニングはできないし最低。
何度も揺れてシートベルト着用サインが出たこともあり、ほとんど眠れなかった。
パパが後ろを振り向いてあと1時間ぐらいで着陸だと教えてくれた。
何だか寝不足で頭の中が働かない。
次に何時、食べ物を口にできるか判らないので夕食時にカナが残したパンを食べておこう。動物の顔をした可愛らしいパンは、かじってみたらクリームパンだった。
機内の灯りが点灯し、まもなく着陸態勢に入ると放送が入った。
夜中に何度も起きたレナは今になって熟睡している。
シートベルト着用サインの前に全ての荷物を降ろして座席の下などに移す。
雨のケアンズ空港に私たちの乗ったカンタス機は着陸し、シートベルトのサインが消えると同時に示し合わせたとおり私たちはさっと立ち上がった。
しかし数人抜いたところで既に列はストップ。
何しろ最後尾に座っていたのだ。降りる順番だってビリに違いない。
実際の所乗る順番などどうでも良いのだ。降りるときに迅速に行動しないと、ケアンズの入国審査で長らく待たされることになる。
スチュワードたちが「バイバイ」と手を振ってくれて、ようやく飛行機の外に出た。
後はできるだけ早足で歩く。パパがレナを抱きかかえ、ママがカナの手を引く。一人抜き、二人抜き、何とか入国審査に辿り着いた。
そうそう、私たちはいつも時間のロス無く入国したいので、食料品は何も持ち込まない。
全部現地で買えばいいやとお気楽なもの。
オーストラリアの食品持ち込みは非常に厳しくて有名だが(参照
オーストラリアへの薬の持ち込みとイオン飲料)、ここ何年かは取り締まりも弛んでいるのか一度もスーツケースを開けられたことはない。
だからそんなものかなと思っていたのだが、今回、見てしまった。
隅に連れて行かれ思いっきり全部開けられている人を。
それも出てくるわ出てくるわ。
カップラーメン、レトルト食品、いわゆるレンジでチンのサトウのご飯・・・。
軽いけど嵩張りそうなパッケージが次から次へと。
あっというまに検査テーブルは小山のようになってしまった。
スーツケースいっぱい、全部食品で埋め尽くされてるんじゃないの?
あれは流石に自業自得だよ。
荷物が出てくるのもすぐだった。
レナも目を覚まし、オーストラリアに着いたんだと姉に知らされる。
パパはとにかく一服しに外へ。
後を追い、自動ドアの外に出て、ああ、この湿った空気。
ケアンズだぁと思った。
まだ暗いのに木々の上からは賑やかな鳥の声が聞こえる。ケアンズはいつもそうだ。小鳥たちの天国だ。
一息ついた後でパパはまた建物の中に戻って、今度はレンタカーの手続きをするためハーツのカウンターに向かった。
到着ロビーでは、ツアーの現地係員たちがめいめいツアー名を書いたプラカードを持って立っている。今年は個人旅行だから自分のツアーガイドを捜さなくて良い。
レンタカーのカウンターはがらがらだった。
というか、他にだれも客は居なかった。
ケアンズ市内に泊まれば、オプショナルツアーもみんな送迎付きだし、ショッピングゾーンも徒歩圏内にあるからレンタカーなど必要ないのだろう。もっとディープな達人になると、空港税を嫌って外で借りるかもしれない。
ハーツの受付係は、ぺらりと一枚紙の簡単な地図と、やはりぺらりとした簡単な観光施設クーポンをくれた。
行き先はミッションビーチだって言ってるのに、くれた地図はイニスフェイルぐらいまでで切れてるし・・・。
外に出るともう空は明るかった。
雨はやんでいて、アスファルトは水たまりだらけだった。
木立を見上げるとさっと鳥の影が横切った。
駐車場の片隅に借りた車が停めてある。
雲が切れて東の空が茜色に染まっていた。まもなく夜明けだ。
空港を出てキャプテンクックハイウェイを走り出すと、自然と口から出てくる言葉。
「帰ってきたねぇ、ケアンズに」
「ただいまって感じだね」
空が広い。
どうしてこんなにオーストラリアの空は広いんだろう。
海からの風が空を覆っていた雲を吹き飛ばしていく。
山の雲はまだ厚いけどきっと心配いらないだろう。
スミスフィールドの巨大ショッピングセンターまで来て、いつも気になる謎の茶色いドームを過ぎて、もうかつて知った道、地図もいらない。
キュランダ目指して西へ折れようとしたら、
「虹だ」
「えっ」
山側に綺麗な虹が架かっていた。
「わぁぃ」
子供たちと窓に張り付き、指で虹を追っているうち、車はそのまま九十九折りの急坂へ。
これが本当の意味での今回の旅の始まりだった。
海沿いからテーブルランドへ登るとき、どうしてもどこかで急坂を登らなくてはならない。
特に
スミスフィールドからキュランダへ登る道は、以前
ドキドキ動物探検ツアーで通ったときに、ガイドが気持ちが悪くなった人がいたらすぐに知らせて下さいとしきりと言って回った山道だ。
車酔いするレナが心配だったが、後部座席を振り返るともう寝ていた。
まあ夜中によく眠れなかっただろうから(おかげさまで親もよく眠れなかった)、仕方ない。
雨がまた降り始めた。
不安定な空模様だ。
たぶん海の方はこれから晴れてくるのだろう。
もしかしたらこの先しばらく山は陰鬱な天気になるかもしれない。
当初立てた予定では、キュランダに到着したら朝8時半からオープンしているはずの眺めの良いキュランダ・レインフォレスト・ビュー・レストランでのんびり朝食。それから
掲示板でみらさんに教えていただいたThe Aviary - Kuranda Zoological Gardensに行ってオウムを肩にとまらせて野鳥園を回る・・・はずだった。
しかし空は重苦しい灰色で、ときおり激しい雨粒がフロントガラスを叩く。いつの間にか小学生のカナも寝付いてしまって、とてもではないが外で朝食を取ったり楽しく野鳥園を回ったりする雰囲気ではなくなっていた。
第一、空港ですんなりとレンタカーを借りて出発できたので、時間も早すぎる。朝の7時過ぎだ。
私たちはぬれそぼった早朝のキュランダを素通りした。
ケアンズ周辺で最も有名な観光地の一つキュランダは、何度も来ている割にまだ観光らしい観光をしたのは二度きりだ。
さてキュランダからさらに国道1号線ケネディハイウェイを南西に向かうと、37キロで次の町、
マリーバに着く。
マリーバは去年二日掛けて訪れた。
熱気球で早朝の空を飛んだり、
ロデオ大会を訪ねたり。
辺りの景色が変わってきた。
木々が低くなり、ドライな感じになってくる。
マリーバはサバンナ気候。360日のうち、300日間サンシャインが降り注ぐ。
驚いたことに雲が切れてきた。
ほんの30キロ程度でまるで鬱蒼としたトロピカルなキュランダとは天候も違う。
雲の切れ間から眩しい青空がのぞき、朝の直射日光がオレンジ色の大地を照らした。
ふと車窓に目をやると、見覚えのある建物が飛び込んできた。
確かあそこは熱気球で飛ぶ前に通った場所だ。
と思ったらパパが、「後ろの車は気球を積んでいるぞ」と教えてくれた。
えっ、どこどこ?
目を覚ました子供たちも窓に張り付く。
パパは路肩に車を停めて、後ろの車を先に行かせた。
「ほら」
本当だ。
後ろの車が追い抜いていく瞬間、畳んだ気球と人を乗せるバスケットが積まれているのが見えた。荷台を引いている車の横腹にはHot
Airのロゴ。まさにあれは去年私たちが乗った気球だよ。
気球を積んだ車はラウンドアバウトで別の方向に折れていき、やがて見えなくなった。
窓の外の空模様はめまぐるしく変化する。
マリーバでほんの少し顔を出してくれた気まぐれな太陽は、あっと言う間に厚い雲の後ろに姿を隠し、
アサートンへ急ぐ私たちの行く手は、今またどんよりと灰色だった。
ぱらぱらと降ってきたかと思うと沈黙する。
かと思うとまた霧のような雨の中を走っていたりする。
雨がやむ度にもう降らないかもという希望がもたげてくるのだが、何度もそれが打ちのめされた。
銀行とスーパーマーケットに寄ろうと思っていたテーブルランド最大の町アサートンに着いたとき、車の外はわずかな希望も押しつぶされるような、最悪の天候だった。
たとえ激しくてもスコールのような一時的な雨は何となくそれと判る。
今アサートンに降っているのは、もう何日も降り続いたような寒々しく鬱陶しいものだった。
空の色はまったく濃淡のない灰色一色で、雨がやむかもしれないという気すら起きなかった。
何だか旅はまだ始まったばかりだというのに憂鬱。
町に入りまずは銀行を探したが、ここの銀行は9時半にならないと開かないようだった。
角を曲がるとショッピングセンターがあった。スーパーマーケットのウールワースや衣料品のターゲットなどが入っている。こちらはオープンしていた。
日本だったらスーパーマーケットより銀行の方が先に開くけどなぁ。
子供たちがまだ半分うとうとしていたので、パパが一人で買い出しに出かけた。ミッションビーチに移ってからの食料は後日買い出すとして、今夜と明日の朝の自炊分と滞在中の調味料など。
いつも日本からはオーストラリアドル建てのトラベラーズチェックを持ってきて、現地の銀行で現金に両替してもらうのだが、今回はまだ両替を済ませていないので、去年の旅行時に残った豪ドル現金で買い物をした。
最近は毎年渡豪しているので、現金が残ってもまた来年使えばいいやとそのまま保管しているのが役に立った。
買い出しを終えて朝食はマクドナルドで。
アサートンのマクドナルドには二年前もお世話になった。
屋根のついた屋外遊具があり、子供たちを遊ばせることもできる。
残念ながら朝なのでハッピーセットは無かった。
おもちゃ付きのセットはオーストラリアでも有り、一昨年はカナもレナもパペットをもらったのだが。
レナはまだ寝ていたが、起こして連れていくことにした。
車を降りると雨の高原は長袖を着ていても寒いくらいだった。
いわゆる朝マックを食べて、子供たちは遊具で遊んで、パパはようやく開いた銀行で両替を済ませてきた。いつもは豪建てトラベラーズチェックは手数料無しで現金に換えてもらえるのだが、アサートンの銀行では5ドルの手数料を取られた。銀行によるのかもしれない。
キュランダやアサートンであれをしようこれをしようと考えていたプランは、時間が合わないのと天気が思わしくないのでことごとくつぶれてしまったが、雨でも楽しめること、子供たちが喜びそうなことということで、まずはアサートンのクリスタル・ケーブスに行ってみることにした。
クリスタル・ケーブスというのは人工の洞窟をヘッドランプ付きヘルメットを被って探索するというアトラクション。あちらこちらに本物の水晶を埋め込んであるらしい。
パパがアサートンの何処にあるか知ってるか?と聞く。
うーん。地図を見てもよく判らない。町外れじゃないかと思うんだけど、と私。
「銀行に行くとき見つけた。本当にここに洞窟が? と思うくらい思いっきり町の真ん中」
そうなのー?
中心街のアーケードの中に他の店舗に紛れるように確かに「Fascinating Facets Underground
Crystal Caves Museum」の看板が。
ここってミュージアムだったのか。
子供たちに「ここどこ? 何するの?」と聞かれて、宝石の洞窟を探検するんだよと答えておいた。
中に入ると、天井にファンが回りアクセサリー屋のような半貴石を加工したグッズの並ぶスペースがあった。
その奥に受付台が見え、怪しい洞窟の入り口が見えている。洞窟の右手にも小さな部屋があり、紫水晶の沢山置かれた台があったが、子供たちが興味津々で入ろうとしたら店員がすかさず「お子さま立入禁止」の札を置いた。
受付を済ませると、係りのお姉さんは一人一つずつヘッドランプのついた赤いヘルメットを渡してくれた。ぎりぎりと後ろのダイヤルでサイズを調節できるようになっている。私のはいまいちサイズが合わず、一番締め付けてもすぐに頭から落ちるので、片手で押さえながら洞窟を潜ることにした。
入り口は本当に暗い。
奥の方に少し灯りが見えるが、自分のヘッドランプだけが頼りだ。
しかも天井が低くなっていてヘルメットがごつんとぶつかった。
もちろん痛くない。触ってみると洞窟の素材は発泡スチロールのように柔らかかった。
少し進むと通路が広くなってきた。
あちらこちらに水晶が埋め込まれていてナンバーが付いている。最初にナンバーと水晶の名前や産地が書かれた紙を渡される。それを見ながら進むらしい。
その先が洞窟の中心部らしい。ゆるやかな下りになっていて突き当たりでカーブ。見事な水晶玉が飾ってある。
閑散として他にだれもいないかと思っていたが、カーブを曲がると何組もの家族連れやカップルが居た。
パパはそれを見て人気がないのかと思ったら意外にお客さんがいるんだなと吃驚していた。
子供は単純に探検ごっこができるし、大人は真面目に水晶を見たり買ったりするのが目的かもしれない。
カーブの先も全部見て、これで終わりかと思ったらまだ続きがあった。矢印の通り壁を押すと、壁が回転して次の部屋へ移動できるようになっている。
入り口が町中だからもっと狭い洞窟かと思ったら、かなり中は凝っているんだ。
年輪のような文様の付いた水晶を薄切りにしてドーム状の壁に貼り付け外側から照らして透かしてみせる部屋や、蛍光灯が消えると白い貴石や服などが青く光る部屋などもあってなかなか楽しめた。
入ったときと同じ壁を反対側に押すと、また別の通路に出た。そこを抜けるとようやく出口だった。
お土産には子供たちは水晶のかけらをもらった。
おはじきぐらいの大きさでまるみを帯びた色とりどりの小石といったところ。小さなジップロックに5個ばかり入っている。
クリスタルの土産物コーナーは素通り。
もちろん子供たちは買い物になんて付き合ってくれないし、宝石を買うような予算も無い。自分としては「欲しい」以前にまずはもうちょっとゆっくり見たかったが、探検を終えたら我が家はさっさとここを後にすることになった。
アサートンにはまたHou Wang Templeという中国寺院もある。
アサートンにあったチャイナタウンの名残だ。今は中はちょっとしたギャラリーというかミュージアムのようになっているらしい。
ここも行ってみたかったが、パパは「子供が退屈するでしょ」とあっさり却下。
確かにこの鬱陶しい天候では、どうにも楽しく観光するという気持ちになれない。
ここらは晴れていればドライブするだけで爽快な景色があちこちにあるはずなのに、機内の疲れもとれていない今、頭も働かなかった。
せめてもアサートン高原に来たのだからと、次は
カーテンフィグツリーを見に行くことにした。
こちらは二年前の
ドキドキ夜行性動物探検ツアーで既に一度来たことがある。
ただ、あのときは夜だった。
暗闇にそびえるフィグツリーはそれは荘厳で怖いくらいだったが、いまいち全体がよく見えなかったし写真にもちゃんと撮れなかったので、もう一度見に行きたいと思っていた。
アサートンから東へ12キロ行くと、ユンガブラという小さな町がある。ちょうど大きなティナルー湖の南端だ。
カーテンフィグツリーはこの町の近くにある。
ところでティナルー湖と言えば、何だかぐねぐねとしてインクのシミが四方八方ににじんだような形をしている。近くにある火口湖のバリン湖やイーチャム湖が丸いのに対し、どうしてティナルー湖だけこんな形なんだろうとパパに言ったら、そりゃダム湖だからだろうと返事が返ってきた。
・・・そうか、ダム湖なんだ。だから谷間に溜まった水がリアス式海岸みたいにぎざぎざの形になるのか。
なるほど地図で見たらティナルー・ルックアウトの近くにダムがあるようだ。そこで水をせき止めて湖ができたのだろう。
ということは、
ケアンズの南にもう少し規模の小さいモリス湖という湖があったけど、あの形もダム湖か。
そう言われるまでティナルー湖やモリス湖が人工湖だとは思いもしなかった。水道水用なんだろうか、それとも電力用なんだろうか(ちなみに正解は電力用)。
ケアンズ近郊の道路では、町への道を示す標識は青地に白字で、観光スポットを示す標識は茶色地に白字で書かれている。
カーテンフィグツリーは
アサートン高原最大の観光スポットのひとつなので、標識に従っていけば迷うことはなかった。
パーキングには車が何台か停まっている。
まだ霧のような雨が降っていた。
子供たちにフード付きのウィンドブレーカーを着せて連れ出す。
雨の中、外へ出なくちゃならないと聞いて子供たちは不服顔。
手すりの付いた木道が熱帯雨林の中に続いている。
森の中は鬱蒼として薄暗い。
ウィンドブレーカーの袖がぬれて腕に張りついて気持ち悪い。
カーテンフィグツリーまではすぐだ。
ほら。
木立の向こうに天からなだれ落ちる白い髭のように奇妙なものが見えてくる。
ロードオブザリングの木の髭、エント族のようだ。
あのときは夜だったのでよく見えなかったが、今は細部まではっきりと見える。
それは巨大な木から垂れ下がる、滝のような寄生植物だ。
寄生して養分を吸い上げ、やがては養い親を枯らせてしまうという絞め殺しのイチジクだ。
小さいものはケアンズ近郊の公園や道ばたでも見かけるが、これほど大きいものは他にないのだろう。
写真を撮るから木の前に並んで、と子供たちに言っても、あまりに背景が大きすぎるのでどう撮っても全容は入らなかった。
本当はティナルー湖の東側を北上し、今回バリン湖とカテドラルフィグツリーだけは絶対に見たいと思っていた。
でも天気が天気なのでカーテンフィグツリーを見ただけで他に行く気が失せてしまった。
特に湖は晴れた日に見たい。
明後日までテーブルランドにいるのだから、明日に望みを繋ぐとしよう。
ユンガブラからマランダへ。
辺りの景色は今度は牧草地になる。あちらこちらに牛や馬が放牧されている。この先、ミラミラまでずっとこんな景色が続くはずだ。
マランダも素通りするはずだった。
いや、実際に一度は通り過ぎて町を抜けた。
ごく小さな町で、中心部を過ぎた辺りにT字路がある。南へ曲がって放牧地の中の一本道を走りだしてから、
「ねぇ、確かマランダに美味しいアイスクリーム屋さんがあるんだよ」と私。
tadagen_mamaさんに教えてもらった。
「アイスクリームとハンバーガーが美味しいらしい。ハンバーガーはマクドナルドで朝食を食べたばかりだからいらないとして、アイスクリームを食べたいな」
「その店、どこか判るの?」
「今曲がったT字路の突き当たりがそこだと思う。私の野生の嗅覚がそう言ってる」
この寒いのにアイスクリームだなんて、面倒くさがって絶対にパパはUターンしてくれないと思っていた。
「いいよ。戻ろう」
午前11時半。
まだいくら何でも、ファームステイ先にチェックインをお願いするには早すぎる・・・そう思って時間稼ぎに戻ってくれたらしい。
戻ってみると、そこはマランダ・デイリーセンターと言って、デイリー・ファーマーズDairy
Farmersの直売所だった。
デイリーファーマーズというのは、ケアンズ辺りのスーパーマーケットではお馴染みの牛乳メーカーだ。いつも飲んでいるこの牛乳はマランダで作っていたんだ。
デイリーセンターの隣にデイリーファーマーズの工場が建っている。見慣れた濃紺と水色のロゴマークが目印。
車を停めて、自分一人だけ先に様子を見に行った。
店内が薄暗かったのでクローズしているのかと最初は思った。
大丈夫、やっているみたい。
中はちょっとしたカフェになっていて、その奥は工場見学のコース入り口になっているらしい。
見学ツアーは火曜と木曜の9時から3時までとなっていて大人9.90ドル、4歳から12歳の子供5.50ドル、シニア7.70ドル、大人二人子供二人の家族割引で26.50ドルとなっている。
早速車に戻って、「アイスクリームが食べられそうだよ」と伝えた。
カナは以前はアイスクリームが大好きだったが、最近はまったく食べようとしない。だから「いらない」と一言。甘いもの大好きのレナは「アイス食べる食べる」と大喜び。
アイスボックスの前の張り紙には、バニラ、ストロベリー、マンゴー、ピスタチオ・・・マンゴーが食べたいな。
でもマンゴーを頼むと今は無いと言われてしまった。季節じゃないのかな。じゃあメニューに書かなければいいのに。
何があるのかと聞くと、マカダミアナッツと返ってきたので、マカダミアナッツを頼むことにした。レナはストロベリーがいいと言う。
マカダミアナッツのアイスは、バニラアイスの中にぼこぼこと惜しみなくマカダミアナッツを入れてあるもので、とっても美味しい。感激するような味だ。日本のアイスみたいに香料でごまかしているんじゃなくて、しっかりとミルクの味が生きている贅沢なアイス。
レナのストロベリーも一口もらった。こちらもあっさりした甘さで美味しい。
引き返して良かった。
今までのどんよりした気分が晴れてきた気がした。
12時を回って、今度こそ真っ直ぐファームへ向かうことにした。
チェックイン時間は2時だが、この天気だし可能なら部屋に入れてもらえるだろう。
ここで初めて地図を見る。
もうこの辺りはだいたいどこに何があるか判っているので、今に至るまでほとんど地図を見ていなかった。ずいぶんケアンズに馴れたものだ。
えーと、目指すアイカンダ・パークはマランダからミラミラ方面へ16キロ行き、ナッシュロードという脇道に入ったところにあるらしい。
マランダとミラミラの間にはターザリという集落があるがそれより先だろうか。
ターザリを過ぎて、更にターザリ湖を過ぎて、あっと思ったときには行き過ぎていた。
相変わらず真昼とは思えないような暗い空の下、引き返して脇道に入った。
ナッシュロードに入って直ぐにアイカンダパークの看板があった。
ガタガタと泥の坂道を登ると、そこがアイカンダパークだった。
小雨がしとしと降る中、車を降りて辺りを見回した。
入って直ぐ右手に私たちが泊まると思われるコテージがあり、その先左手に車庫と母屋がある。
車庫の入り口は開いたままで、外側に大きなごつい四輪バギーが停められていた。人の気配は無い。
もう少し先まで行くと、母屋のあるところは丘の上になっていて、幻想的な光景が広がっていた。緑色のパッチワークがどこまでも続く。
ミラミラに
ミラミラ・ルックアウトという景勝地があるが、ここからの眺めは遜色無いぐらい。
ただ、あまりにも天気が悪く今日この時間は魅力が半減どころか1/10ぐらいになっていた。
しかも目を丸くしたのは、洗濯物が干してあったことだ。
・・・信じられない。
どうして雨が降っているのに外に洗濯物が干しっぱなしなの?
急に降ってきた通り雨だっていうなら判るけど、この雨は1日降りっぱなしなんじゃないの?
ずぶぬれの物干しには、タオルやシャツや子供用のズボン・・・。
子供用のズボン??
だってこの農場を切り盛りしているのは老夫婦二人では?
そう思って見ると、庭のあちこちに散らばるおもちゃ。
乗って遊べるプラスチックの車や、泥だらけのボール、草の間に落ちている人形・・・。
どう見てもこの家には小さい子供がいる。
・・・老夫婦の孫が、週末ごとに町から遊びに来るとか?
いや、そんなものじゃない。この遊具は今の今まで誰かが遊んでいたかのようだ。
きょろきょろしていると、一台の車が入り口から泥を蹴立てて入ってきた。
運転席にいるのは金髪の女性で、他に子供が二人乗っている。
車が車庫に入ると、まず子供たちが飛び出してきた。
前髪を切りそろえたさらさらの金髪の女の子、7歳のカナより背が高い。
それから坊主頭の腕白そうな男の子。5歳のレナよりかなり背が高いが年は同じくらいだろうか。
二人とも膝上までは小綺麗にしているのに足は裸足のまま平気で泥の中を歩いている。
車から降りてくるなり二人でぺらぺらぺらと話しかけてきた。
さ、さっぱり判らない。
いきなりの展開に目を白黒させている私たちに、最後に車から降りてきた生命力溢れる女性が、「私がシンディよ」と名乗った。
シンディは子供たち同様早口で、英会話に不自由な私だけでなく、まだオーストラリアに着いて1日目で久しぶりの英語に馴れていないパパも半分も聞き取れたかどうか。
ただ、マムは病気なのという一言だけは判った。
ということは今年の年始には農場の女主人であったサンドラ夫人は休業中。一時的にか恒久的にか判らないが、今は娘のシンディがファームを仕切っているらしい。
彼女は、ちょうど今、子供たちの学校が終わる時間でスクールバスのお迎えに行っていたところなのと教えてくれて、早速コテージに案内してくれた。
コテージは赤い花咲く大樹の隣に建つ可愛らしい建物だ。壁が白く塗られている。
リビングとダイニングが続いていて、左右の壁側に変則的にシングルベッドが二つ置いてある。
この他にダブルベッドのあるベッドルームと、浴室とトイレ、ランドリースペースなどがある。
決して豪華ではないけれど、カントリー調の暖かい家具やファブリックは、ここに泊まるお客さんが居心地よく過ごせるようにと心を込めて選んだものに違いない。
ドアを開けると、案内係のシンディとともに二人の子供たちも元気よく飛び込んだ。もちろん泥まみれの裸足のまま。
うーん。もちろん日本と違ってこちらでは家の中でも靴を脱がないが、しかし家の外でも靴を履かないってことは、もしかしてそのままベッドの上にも上がっちゃうわけ?(笑)。
乾いていればそれほど気にならない足跡も、雨の日だからなおさらくっきりだ。
何だか変なところでカルチャーショックを受けてしまった。
お姉ちゃんの名前はセイラ。7歳のカナより背が高いが年はレナと同じ5歳だった。
弟はロッキー。セイラより一つ下の4歳だ。
セイラは弟よりずっと小さいレナが自分と同じ年だとは信じられないらしく、何度も5歳なのはレナではなくカナではないか?と聞いてきた。
嵐のようにシンディ一家が現れて去って、ようやく私たちは荷物を降ろして気が抜けたようにへたりこんだ。
ここでの宿泊は食事付きと自炊と選べるが、今夜と明日の朝は自炊にしておいて良かった。
長い機内拘束時間を終えて、休む間もなくレンタカーで
テーブルランドへ。更に疲れ切った頭ではとても楽しい英会話など交わせる能力は無く、しかも子供たちだっていつ眠くなるか判らない。今日はもう雨の中部屋でゆっくり休んで明日に備えることにしよう。
このファームにはコテージの他にあと二部屋あって、こちらには食事付きと無しの他にフルファームステイという料金設定があり、これを選ぶと農場体験ができるようなことを書いてある。
コテージにはそういった料金設定は見あたらなかったし、アイカンダパークは肉牛の農場だということもあり、たぶん私たちにできるとしても見学ぐらいだろうなと思っていた。
それがとんでもない間違いであると知るのはこのすぐ後だった。
10分もしないうちにシンディとキッズは戻ってきた。
手に、大きなミルク用ペットボトルのようなものを持っている。
「これから赤ちゃん牛にミルクを上げに行ってみない?」
母屋の前には囲いがあり、通る度に白い犬が威勢良く吠える。
その隣は鶏の柵だ。かなり広いスペースに放し飼いになっている。
シンディとキッズとカナはそのまた奥へ向かった。出遅れたレナは必死で走って後を追う。
雨はやんでいるが、道はぬかるんでいる。
柵の中に二頭の子牛が居た。
確かにまだ小さい。レナの半分ほどしか背丈がない。白黒のぶちのあるホルスタインだ。
シンディはこうやってあげるのよ、と実演して見せてくれた。
取っ手の付いたプラスチックのミルクボトルには大きなゴムの乳首が付いている。これを子牛の鼻先に持っていってやると食いついてごくごくと飲み始める。
「どう?」と、ボトルを渡されるが、何しろ赤ちゃんとはいっても力が強い。ボトルもなみなみとミルクが入っていて重いので、カナとレナは二人がかりで飲ませることにした。それでも子牛がぐいぐいと押してくると二人はじりじりと後ろに下がる。
子牛が下へボトルの口を引っ張るので、つられて二人もしゃがみ込む。そうすると今度は乳首が下がりすぎて子牛は飲みにくそうだ。
見ているのと自分でやるのは大違い。なかなか子供たちには難しそうだった。
シンディはもう一頭の子牛のために、ミルクのおかわりを持ってきた。
それから餌もやる。
餌箱から一掴み取り出し、子牛の口元に持っていくと子牛はよだれだらけの口でそれを食べた。
流石にカナもレナもそれはちょっと引いていた。
パパがシンディのやったとおり、餌をやってみせてくれた。
結果、彼の手の平は子牛のよだれでべたべたになってしまった。
まさかいきなりこんな体験をさせてくれると思わなかったので、自分もサンダルしか持参していなかった。
足下はぬかるんでいるし、加えて牛舎の中は牛の●●だらけ。サンダルもジーパンも子供たちの運動靴も凄いことになりそうだ。
ロッキーはカウボーイよろしく子牛にまたがった。子牛は暴れるのですぐに振り落とされてしまう。それでも彼は面白くて仕方ないらしい。
セイラは高い柵の上にまたがって座っている。落ちるんじゃないかと冷や冷やしてしまった。
この一家が農場を引き継いだのがいつからか判らないが、少なくともこの子供たちは生まれたときからここで動物と触れ合っていたかのような自然さだった。
子牛がお腹一杯になった後、今度は庭を案内してもらった。
ちょうど母屋の前にパティオがあり、ここからファーム全体が見渡せるようになっている。先ほど気になった洗濯物が干してあるあたりだ。
煉瓦を積み上げた囲いの中は家庭菜園になっている。
苺にトマト、ネギにナスにハーブ類・・・シンディはひとつひとつ丁寧に説明してくれる。
青々したトマトの臭いは、日本のスーパーで売られているトマトとはまるで違う野性的な臭いだった。
この後、驚いたことがあった。
物怖じして親に張りついているレナと違い、日頃学校では「大人しい」と評価を得ているのに妙に何処にでも順応するタイプのカナは、やおらセイラに連れて行かれてしまった。
どうもセイラの部屋の中まで行ったらしい。
後から本人に聞いてびっくりした。
カナはけろりとして、おもちゃがいっぱいあったよと教えてくれた。
パパは適当なところで「荷物の整理をしなきゃならないから」とか何とか言ってコテージへ戻ってしまった。
たぶん疲労がピークに達しているのと、かんばってホストファミリーと意志疎通を試みると言った妻を試すつもりで。
残されたのは英語がしゃべれない私とカナとレナ。
どうする?
カナとレナが母屋の軒下の檻を見つけた。二羽のインコが入っていた。
「小鳥が好きなの?」とシンディがケージを開けてくれた。
ばささっと灰色のインコと、頬にオレンジの丸のある白っぽいインコが羽を広げて出てきた。
シンディが灰色のインコをレナの肩に乗せてくれた。
大人しい。
レナは直接爪が当たるんじゃないかとちょっとびくついている。
ロッキーが来て、インコをつかんだ。両手で振り回して飛ばしてみたり、二羽を得意そうに両肩に乗せたりしてくれる。仕草は乱暴だが、小鳥が可愛くて仕方ないようだ。鳥たちも背中を捕まれても嫌がらないようだった。
カナはレナより鳥が好きなのだが、今回は何故か一歩引いていてなかなか肩に乗せたがらなかった。
仕方ないのでママが手首にとまらせる。
レナも同じことがしたくてたまらないのだが、何故かレナの手首に乗せようとすると、インコたちは勝手に腕を歩いて登って肩に乗ってしまう。レナの肩が気に入っているようだ。
さらに胸元に降りてきて、不思議そうにレナのカーディガンについたボタンをついばんでいる。半透明のそのボタンは花の形をしていて、レナは「この鳥さん、本物のお花だと思っているよ」と笑った。
流石に自分も限界に来ていたので、シンディに部屋に戻ってもいいかと聞いた。
するとシンディは、何かぺらぺらぺらと提案してくれた。
えっと、なになに。卵集めと、チュークと犬と豚の餌やり?
チュークという言葉でまず躓いてしまった。
何だろう? チューク?
そこで最終手段。
紙に書いてとお願いした。
すぐにシンディは理解してくれて部屋に戻って紙と鉛筆を取ってきた。
「午後5時半からチュークに餌をやって卵集めをする。それから犬と豚にも餌をやる。お子さんたちに如何?」
アイ シー。では5時半に。
部屋に戻るとパパがぐったりしていた。
私が紙を見せると、「どうやって会話するかと思えば紙に書いてもらうとはやられた」と。
chook・・・字面を見たときに鶏かひよこみたいなイメージが浮かんだ。
しかし自分の電子辞書を引いてもそんな単語は出ていない。
なんじゃこりゃ。
頭を抱えていると、パパが自分の電子辞書を引いてくれた。彼の辞書は私のより一回り大きくて高機能そうだ。
chook・・・鶏、チキンとあって、「(豪)」とついていた。豪語かい。それじゃ私の辞書に載っていなくても仕方ないな。
2時半頃、遅いランチにすることにした。
パンとスープで簡単に。
カナもレナもパンプキンスープが気に入ってお代わり。
レナは元々パン好きだが、カナは日本ではあまりパンを食べない和食派だ。それが何故かオーストラリアのパンは好きらしい。もっともっとと、吃驚するほど沢山食べた。こっちのパンはほんのわずか酸味があって、何もつけなくてもしっかりと味がある。
雨の高原は寒かった。
涼しいだろうなとは思っていたがこんなに寒いとは思わなかった。
めいめい長袖は一枚ぐらいしか持ってきていない。
部屋の片隅にストーブがあったのでこれをつけた。
出発前の日本は4月とは思えない夏陽気だったのに、まさかもっと暑いと思っていたオーストラリアでストーブを使う羽目になるとは。
ボーダー状に四本のヒーターが付いていて、スイッチが四種類。ハイで固定、ハイでターン、ローで固定、ローでターン。
当然ハイ&ローというのはストーブのパワーのことだと思い、ハイのターンでセットした。
・・・しかし何故かヒーター部分は上二つしか熱くならない。
パパが「変だな」と言った。
「もしかして・・・ハイって言うのはハイパワーのことじゃなくて、単に上のヒーター部分二本のことを指すんじゃない?」と私。
「それだ!!」
ということは、このストーブは上をつけるか下をつけるかは選べるけど、四本いっぺんにつけることはできないってこと。
あんまり四本ある意味ないじゃん。
5時半まであと2時間半ぐらいある。
昼間車の中でほとんど寝ていた子供たちは元気にベッドルームで遊んでいる。
旅行先で部屋が複数あると、子供たちは勝手に自分たちの部屋を決めてしまう。旅館ならば窓の所、2ベッドルームならダブルベッドのある部屋を取られてしまう。
荷物やおもちゃを運び込み、大人はノックしないと入っちゃ駄目とか言われる。
今回もダブルベッドのある部屋は子供部屋に取られた。
こちらはリビングのカウチの上で休ませてもらうことにした。
時差に弱いパパは、今寝ると夜中に目が覚めて時差ボケが酷くなるから寝ないなどと言っていたが、時差にほとんど振り回されない私は、「じゃ、寝られるときに寝るから」とさっさと横になってしまった。
四時半に目が覚めた。
というか、起こされた。
レナが泣いている。
はしゃいでいてベッド脇の卓上ランプに頭をぶつけたと言う。
しょうがないなぁ、もう。
パパは五時に起きた。念のためアラームをセットしていたようだ。
そろそろ支度しよう。
夕方だから風邪を引かないように着せられるだけの衣類を着せた。
子供たちは半袖の上に長袖カーディガン。その上にウィンドブレーカー。足下はスパッツに長めの靴下。
自分は半袖の上に長袖のカットソー、さらにTシャツみたいに薄手のウォッシャブルウールのニットを持っていたのでこれも着る。一番上にはやはりウィンドブレーカーを羽織った。
外は既に薄暗くなっていた。
母屋の前を過ぎて、鶏が放し飼いになっている囲いの所まで来ると、柵の外に逃げ出した鶏が一羽いた。
カナとレナが後を追うと、母屋から出てきたロッキーも一緒になって追いかけた。
クリスマスソングに七面鳥が逃げ出した歌があるじゃない。もうあんな感じ。
シンディとセイラも出てきたが、もう一人母屋の廊下に背の高い人影が見える。
「セイラ!」
娘の名前を呼びながら出てきた強面の男性は、ほとんど口を利かずにパパと握手しで、すぐにまた家の中に引っ込んでしまった。
たぶんシンディの旦那様でセイラとロッキーの父親。
何だかとっつきにくそう。
シンディがやってきて、鶏の囲いを開けてくれた。逃げた一羽は子供たちが追い回し、柵の中に追い込んだ。
鶏の餌台は柵の中の小屋の中にあり、下の部分は植木鉢の受け皿みたいなもの、上の部分は長い筒になっていて、餌を筒の中に入れてちょっと筒を持ち上げてやると適量が皿に落ちるようになっている。
シンディが見本を見せて、カナにやってみるよう即した。
チュークのディナーよとシンディが言う。
鶏たちがやってきて餌をつつき始めた。
その隙に、卵を集める。
雌鳥が卵を産む場所は決まっているらしい。ちゃんと一羽がゆうゆう入れるサイズの箱がある。
シンディがカナとレナを順番に抱っこして、その中から卵を取るよう教えてくれた。
こちらからは見えないが、抱っこされている子供たちには中に卵があるのが見えるようだ。恐る恐る藁の中に手を入れて探っている。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ・・・。
五つの卵が産み落とされていた。
大きめの白い卵が二つ、小さめの茶色い卵が三つ。
鶏たちが走り回っている柵の中には、二本のフルーツの木が植わっている。
どちらもたわわに実が生っていて、ひとつはネーブルオレンジの木、もうひとつはレモンの木だとシンディが教えてくれた。
フルーツの木の下で鶏を飼うと肥料がいらない。なるほどね。一石二鳥。
シンディはかがんでよく熟していそうなオレンジを五つとレモンを二つもいでくれた。そしてそれを卵を入れたバケツに一緒にしまい、朝食に食べるといいわと渡してくれた。
次は犬と豚のディナーだ。
よく吠える白い犬はフレンチブルドッグの雌でゲスという名前だった。
今まで気が付かなかったが、隣の柵の中に、子豚と一緒にもう一匹の犬がいて、こちらはゲスの姉弟で雄のジャック。ジャックはあまり吠えない。
シンディにおいでと言われてカナとレナが車庫に駆けていくと、彼女は何か大袋に入った白い粉を取り出した。
それをみんなでバケツに移す。
手が粉で真っ白になってしまい、レナは嫌がって逃げてきた。
粉を入れ終わるとバケツをホースの所に持っていき、今度は水を入れてかき回した。
「これは犬のディナー。ゲスはミルクをとっても愛してるの」とシンディが言う。
ということはあの白い粉はスキムミルクのようなもの?
ロッキーとカナがぐっちゃぐっちゃと手でかき混ぜている。
犬って肉とかドッグフードとか食べて骨をかじるのかと思っていた。
ミルクを愛してるったって舌でなめる程度じゃないの?
大きなバケツ一杯のミルクをざばっと全部ゲスの前の箱に移すと、驚いたことにゲスは顔をつっこんでごくごくと飲み始めた。それも凄い勢いで。
あっと言う間にミルクが半分ほどに減ってしまったのを見てパパも目を丸くした。まさかあの大量のミルクが犬一匹分とは。
「さあ、今度はジャックの分も作るわよ」
カナももう嫌がるかと思ったらとんでもない。喜々としてとんでいき、ロッキーと一緒にミルクを作っている。
やっぱりカナの方が何事にも順応力があるようだ。
子豚にも餌をやり終えて、これで仕事は一段落。
ロッキーは今度は子豚にまたがっている。子豚は柵の中を逃げ回るが面白がって追い回している。
シンディがカナとレナに柵の中に入るか聞いた。
ふんふんと鼻を寄せてくる子豚や犬のジャックが怖いらしく、カナもレナもうんと言わない。
端で見ていたセイラが柵を乗り越えて中に入った。
セイラの服装はピンクと白のボーダーのセーターと、デニムのミニプリーツスカートで、どう見ても動物の世話をする感じではないが、雨でぬかるんだ農場をうろうろしていても裸足の足の裏以外はまるで汚れていない。
私だったら綺麗な服を汚しちゃいけないから、農場に来る前に部屋で汚れてもいい服装に着替えてきなさいと言うところだ。
不思議とセイラが着ていると農場でもミスマッチでない。
対するロッキーはTシャツにだぼっとした短パンと、いかにも汚しても良い服装で、実際に子豚や犬と戯れているうちに、こちらは見事に泥だらけになっていた。
一人ずつ柵によじ登って出てくる。この柵には出入り口というものが無いらしい。
最後にセイラが降りようとしたら、ぐらりと揺れて柵が手前に倒れた。
・・・
ああ、吃驚した。
ほとんど立てかけてあるだけみたいな作りなんだもの。適当といえば適当。
よいしょ、となおして、ぱんぱんと手を叩いてそれでおしまい。
みんな笑っていた。
夕食は頂いた卵を茹でて、トマトソースであえたペンネ。
デザートにもぎたてのネーブルオレンジ。
甘みが少なく苦みもあってグレープフルーツに近い味がする。カナはとても気に入ったらしい。
結構今日一日で服が汚れたので洗濯することにした。
コテージには洗濯機と乾燥機と組立式の物干しと洗濯ばさみまで備え付けてある。
長袖や長ズボンは汚れたし一枚しかないから今夜のうちに洗って乾かしておきたい。豪州は電圧が高いから乾燥機ですぐに乾くわよね・・・と思ったのだが、洗濯が終わって濡れた洗濯物を乾燥機に移して気が付いた。
乾燥機が動かない。
何で?
スイッチを押してもうんともすんとも。
パパに見てもらったら、
「電源が入ってないぞ」
なーんだ。
・・・じゃないぞ。電源コードはどこ?
探してうろうろ乾燥機の周りを回ったが見つからない。
パパがようやく見つけた。乾燥機の上にとぐろを巻いていた。
乾燥機は高いところに据え付けてあるので、私たちの身長では上部は見えなかっただけだ。
今度こそ乾燥機が動くはず・・・と、コードをコンセントに繋ごうとしたら・・・。
な、何故に届かない。
それもね、あと5センチなの。
ぎりぎり引っ張って、あと5センチでコンセントに届かない。
やっとパズルが解けたと思ったのにまだ裏があったとは。
コテージ中探しても延長コードは見つからなかった。
シンディにお願いしてみれば?と私は言ったが、電気関係は旦那さんが来るんじゃないのか? とパパ。
疲れ切ったこの状態であの怖そうな旦那様と応対する勇気はない。
「明日にしよう」
「うん、明日にしよう」
それはいいんだけど、この洗っちゃった洗濯物、どうしよう。
乾かさないと明日着る服がないよ。
仕方ないので組立式の物干しにピンチでとめ、ストーブの前に置いた。
ストーブがあって良かったよ。
延長コードは見つからなかったが、コテージは探すといろいろ面白いものが出てきた。
洗面所の引き出しは、上にドライヤー、下に紙おむつがひとつ・・・。
紙おむつって・・・。赤ちゃん連れも歓迎ってことかな。備え付けてあるところがすごい。
カントリー風の食器棚はガラスの引き戸が裏表逆にセットされていた。
これって、絶対反対だよね、とパパが見つけて、直しておいた。
何て今日は長い1日だったんだろう。
ばてばてだけど、本当に面白かった。
テーブルランドが雨だったときはどうしようかと思ったけど、その分早くファームに着いて、いろんな体験をさせてもらえたことは実は凄くラッキーだったのだと思う。
高原の観光なんていつでもできるし誰でもできる。
今日の私たちは他では決してできない得難い体験をさせてもらった。
シンディ一家に感謝を。
子供部屋は既に寝静まっている。
入り口のドアの横にはカンタスでもらった落書きボードが立てかけてあった。
カナの字で一言、「おやすみなさい!」と書かれていた。
三日目「クレーターレイクス巡りと賑やかなディナー」へ続く・・・