1.
この年末年始も新潟の旧松代町、現十日町市にある貸し民家みらいで過ごすことにした。
もう何年になるだろう。
榛名湖畔の宿が廃業して以来、みらいで過ごすお正月は我が家の定番になっている。
どっしりとした木造の古民家。
ほとんど開けっぱなしの戸を潜ると広く薄暗い土間があり、その奥に畳敷きや板張りの部屋がいくつもある。
台所の隣は本物の囲炉裏で、黒々といぶされた自在鉤が天井から下がる。
備え付けの道具は、民俗博物館に実際に展示されていてもおかしくないようなものばかりで、歩くと床はぎしぎし鳴ったりする。
貸し民家みらいはワカイ測量がサイドビジネスとして始めたもので、社長の若井さんは他にも全国第一号の商用どぶろくを作ってみたり、納豆や味噌も商品化している。
みらいには1号館、2号館、3号館、5号館と四つの棟があって、我が家は3号館をのぞきどれも泊ったことがあるが、中でも2号館が冬の定番となっていた。
泊った中では一番密閉性が良いのか快適だったからだ。
しかし今回は2号館は既に予約が埋まっていて、1号館に泊ることになっていた。
冬の1号館に泊るのは久しぶりだ。
すっかり記憶が薄れている。
立派な手作りの露天風呂があることはよく覚えているが。
初日 2010年12月30日(木) |
予定は5泊。
出発は12月30日早朝5時。
夜明け前。空はまだ真っ暗。眠い目をこすりつつ車の中で昨日買っておいた朝ごはんを食べる。
新潟へと続く関越道は、車は多いものの結構流れている。
本庄児玉を過ぎる辺りで空が白みだした。
駒寄の手前、車線が減って渋滞気味。ぎりぎり車は流れている。
やがて左に榛名山、右に赤城山が見えてきた。完璧な快晴。空は濃紺から朱の綺麗なグラデーション。
しかし油断してはいけない。
天気予報によると年末年始は大雪の大荒れ。
これから向かう先は日本有数の豪雪地帯。
不安を増殖させるかのように、関越トンネルの先はチェーン規制の電光表示。
もちろんスタッドレスははいているけれど・・・
車は関越トンネルの入り口に吸い込まれるように入っていく。
暗転する直前の景色。
霜の降りた畑。
真っ白な水上の山々。
青空よ、さらば。
トンネルを抜けたら雪国だった・・・
当り前か。
トンネルを抜けたら旅の終わりまで6日間、厚い雲が垂れこめて、びょうびょうと吹雪いている・・・という予想とは裏腹に、空はまだ薄青かった。
紗が掛ったように明度は下がっているが、もちろん雪は降っていないし、悪くない天候。
ただ、木々の枝や道路端に積もった雪は、明らかに群馬側よりどっしりと重そうだ。
新潟だなぁ・・・としみじみ思うと、車は塩沢石打で高速を降りて、一般道に入った。
塩沢石打のお目当ては、いつもの日本海鮮魚センター魚野の里。
ここでお正月用の海産物を買い出してから古民家に籠もる。
時間は朝の7時48分。やけに静かだと思ったら、まだ開店時間まで10分ちょっとあった。
今回はあまり収穫が無かった。
蟹と鮭と出汁昆布・・・その他こまごまとしたものなど。
残りの食材は途中のスーパーマーケットで買うとして、出発。
車は六日町を通過。
ここの大通りは両側にアーケードが連なる。
これは雪国の特徴の一つだ。
六日町と言えば思い出すのは・・・
「酔っ払いだろ?」とパパ。
あれは2006年のことだ。
六日町温泉金誠館に泊って、歩いて公衆浴場の
六日町中央温泉に向かった時のことだった。
辺りはもう暗くて雪が降っていて、私の前を酔っ払いのおじさんがよろよろと歩いていた。
絵にかいたような千鳥足で。
そのせいで六日町のアーケードを見ると酔っ払いのおじさんを思い出す。
条件反射になっている。
さて、次の目的地は買い出しのできるスーパーマーケットだ。
六日町のジャスコに着いたときはまだオープン前の時間だったので、十日町まで行くことにした。どうせ通りがけだ。
雪道を走って約30分。十日町に着き妻有ショッピングセンターの表示に従ってジャスコの駐車場に向かうと、まさに開店時間は9時だった。
腕時計を見る。
今の時間は9時17分。ばっちりじゃん。
それにしても長靴率が高い。
お客さんの半数以上は足元ゴム長靴だ。
六日町から十日町まで移動途中にパパから相談を持ちかけられた。
「明日からは大荒れの天気予報なんだよ。今は曇ってはいるけど一応降っていないじゃん。今日、まつだいファミリースキー場に行くことにしないか?」
まつだいファミリースキー場は貸し民家みらい1号館から一番近いスキー場だ。
リフトは2本ぐらいしかなくて、しかもそのうち1本はいつも稼働していなくて、コースだってリフトの左右に一本ずつ程度の小規模スキー場だが、子供たちだけで勝手にのぼって滑ってこられる安心さがある。
それにいつでもリフトもゲレンデも空いているし。
「それで、ママが一人で子供たちの面倒をみて」
へ?
「パパは?」
「自分は松代駅前のふるさと会館でさらに米なんかを買い出して、みらい1号館にチェックインしておく」
・・・なるほど。
「松代にコメリができたらしいよ」
パパのこの台詞は若井さんのウェブサイトを読んでのことだ。
「ふーん、新潟にコメリなら珍しくないんじゃない?」
私たちの長靴も前に新潟旅行に来た時に現地のコメリで購入した。
でもなんでわざわざと思ったら、その新しいコメリはまさに若井さんのワカイ測量の隣に建っていた。
そして、コメリ、ワカイ測量を過ぎて少し行けば、もうすぐ道の左手にまつだいファミリースキー場は見えてくる。
前回のスキー旅行はスキー用の手袋を忘れて散々だった。
今回はちゃんと持っては来たが・・・
「ママー、もうこの手袋小さいよ」と小5のレナ。
ウェアやスキー靴は事前に着用させてサイズを確認してきたが、さすがに手袋までは・・・。
「カナの手袋ならぴったりだよ」
レナは中一の姉の手袋をはめてみる。
でもカナの手袋をレナに貸したら、今度はカナの手袋が足りなくなる。
今日はパパは滑らないからパパの手袋をママに貸して、ママの手袋をカナに貸すとか・・・
「ママの手袋は指がくっついているやつでしょ。それは嫌」と今度はカナ。
しょうがないのでスキー場のレストハウスでレナの手袋を購入することに。
まつだいファミリースキー場は本当にこぢんまりとしたスキー場なので、レストハウスと呼べる建物はひとつしかない。
看板には「雪国体験休憩施設」と書かれていて、食事・休憩の他、リフト券なども扱っているが、座席数など大きなスキー場と比較するとこんなんで足りるのかしらと心配になる規模で、でも未だかつて満席になったのを見たことがない。
ここでレナの手袋を購入した。
ピンクのと黒いのと迷ったが、サイズがあわなかったりして、結局黒い手袋を選んだ。
ステッチが赤で入っていて、なかなかかっこいい。
これで準備は完了。
ゲレンデに出よう。
リフト券を買う時に、一日券を買うか回数券を買うかちょっと迷ったが、結局この日はがんがん滑ったので一日券で正解だった。
リフト券に刻印されたナンバーは0012。
まさかと思うけど、本日12番目の購入者?
もう午前11時近くだというのにナンバー12はまずかろう。
営業していけるのかしらん。
スキーの準備は全て整い、パパは車に戻り、わくわくする子供たちを連れて私はリフト乗り場に向かった。
薄日が差していた。
今日は雪が降らなければ恩の字。晴れまでは期待していなかったが、もしかしてもしかするかもしれない。
リフトはもちろんがらがら。
二人乗りなので最初は私はレナと組み、カナは一人で乗る。
慣れてくれば子供二人でも大丈夫。
背は低いがもう中一と小5だ。
風も無くそんなに寒くない。
久しぶりの板が足に重い。
てっぺんまで着いて、スキー板の先を持ち上げると、後は降りるタイミングを計るだけ。
足の下がすうっと滑る感じ。
スキー靴のバックルをしっかりと留めて、手袋をはめた手をストックのバンドに通すと準備完了。
ほんのリフト一本分の高さだが、見下ろす景色は素晴しかった。
ちょうど雪をかぶった集落に光がうっすらと当たっていて、銀色に見える。
早く早くと子供たちが呼ぶ。
このスキー場はリフトが二本あるのだが、上のリフトは動いていないので、このリフトの左右、それから迂回コース、迂回コースも途中で合流してくるので、コースは全部で2.5本というところ。
最初は迂回コースに行くようだ。
黙ってついていく。
ママは写真撮ってばかりいるから遅いんだよねとレナにぼやかれる。
いいじゃない。
こんなにいい天気なんだもの。
スキー板の下の雪はほどよく柔らかくてきゅっきゅっと音を立てる。
下まで滑り下りてまたリフトへ。
何しろリフトは一本しかないから迷いようがない。
リフトのケーブルから落ちる雪のかけらが光を反射してきらきらと光っている。
私はスキーは好きだけれど、遊びに行くのが好きなだけで、運動会系にしゃかりきに滑るわけじゃない。
だからスキー場に行っても休み休みなんだけど、こんなにコンディションが良ければ休む気にもならない。
最初は適当に滑ったら子供たちだけで滑らせようと思っていたが、いつの間にか私も夢中になって何度もゲレンデを滑り下りていた。
コースは右に行ったら左というように、その都度変えていたが、何度目かの迂回路を抜けたとき、前を滑っていたはずのカナが突然消えた。
一瞬板が二本中に浮いて・・・何で板が上に突き出してるんだ?と思ったとたん雪煙があがった。
何があったのかと慌てて追いついたら、カナが笑っていた。
「一回転しちゃった。空が見えたよ」
とほほ。いったい何をしたんだい。
木々の間から差し込む光。
枝からぱらぱらと落ちてくる雪のかけら。
頬にあたる風。
空はますます晴れてきた。
今日は最高のスキー日和。
とは言っても、へたれな私。
流石に休みなしでがんがん滑る子供たちにつきあいきれず、12時過ぎに一人休息に入った。
休息する場所と言っても一か所しかない。
さっきレナの手袋やみんなのリフト券を買ったあそこだ。
お腹も空いてきたので食券販売機に行き、たこ焼きの食券を買った。
少しばかり待って、取りに行ったたこ焼きは・・・何か変。
ひっくり返すと底が平らだった。
たこ焼きってまんまるいものじゃ無かったの?
球形を半分に切ったような形で、なんだか見た目の数の半分しか食べられないような感じで損をしたような気もする。
20分ぐらいで子供たちもあがってきた。
カレーとジャンボフランクを二人で分け合って食べると、もう行こう行こうと手を引く。
スキーが滑りたくてたまらないらしい。
午後もよく晴れて、日焼けするんじゃないかと心配になったくらいだ。
何度もリフトで昇って、ゲレンデを滑り下りて・・・1時半頃パパからメールが入った。
『一号館で荷物整理中。寝室セットしたらそっちに向かう』
そうしてパパがスキー場に到着したのは午後3時ごろだった。
レナはもうちょっと滑りたがったが、パパは今日はここまでにしようと言った。
名残惜しそうにゲレンデを振り返りながら車に戻り、がちがちに固まった足をスキーブーツからよいしょっと抜いて、ホッと一息。
走り出した車は真っ直ぐみらい1号館に向かうのではなく、途中でワカイ測量に立ち寄った。
「さっき若井さんに頼んでおいたんだけど、1号館に湯たんぽと火起こしが無かったんだよ。だから受け取ろうと思って」
しかし、ワカイ測量の中をのぞくと誰もいなかった。
何度も貸し民家みらいには泊っているけれど、ワカイ測量の中をのぞいたのは初めてだ。
測量会社が古民家のレンタルを行ったり、無農薬の原料からどぶろくやら納豆やら味噌やら作っているのは妙な気がするが、これは若井さん本人に会うと誰でも納得できると思う。
とにかく誰もいないのでは仕方ないので、また後で1号館から電話してみることにした。
後はとにかく1号館へ。
1号館は蓬平という地区にある。
蓬平には
芝峠温泉雲海という第三セクター経営の温泉宿があるので、途中まではそこを目指して行けば良い。
いつも泊る2号館は
松之山温泉に近いが、今回泊る1号館は芝峠温泉に近い。
ところが!
ところがなのだ。
途中の看板に予想もしていなかった言葉が。
それはなんと、芝峠温泉立ち寄り休業のお知らせだった。
平成22年11月8日(月)〜平成23年3月末(予定)客室の一部と大浴場の改修の為、立ち寄り湯不可!?
あんまりだ。
1号館に泊るのはこれで3度目だが、最初の二回も芝峠温泉は工事中で立ち寄り不可だったのだ。
1号館から一番近い温泉なのに、1号館に泊るときに限っていつも不可。
なんて運が悪い。
特にこの年末年始は大荒れと聞いているので、もしかしたら芝峠温泉ぐらいしか行かれないかもねなんて話をしていただけに・・・がっくり。
雪がうっすら積もった急坂を下りて、それからちょっと昇る。
あれ、1号館、どれだっけ?
このあたり木造の古い家も多く見分けがつかない。
「あれだよ」
パパが指さしたのは後方の坂の上。
そうだった。
1号館は駐車場から家まで少し坂を昇らないといけないんだった。
「ここを若井さんと二人、荷物をかついで何往復もしたんだぞ」とパパ。
そりゃ御苦労さまでした。
最後の坂までは除雪してあるが、そこからみらい1号館の玄関までは雪に埋もれている。
一応パパたちが雪をかいたらしく、細い一本の道はできているが、それでも雪をかきわけながら進む。
眺めは素晴らしい。
小高い斜面に建っているので、雪をかぶった集落を見下ろすことができる。
露天風呂は別棟になっていて、既に薪をくべてあるらしく煙があがっている。
ガラスを張った玄関の戸をがらがらと開けると、しんしんと冷え込んだ薄暗く広い土間が待っている。
靴をぬいであがると、靴下の底から冷気がのぼってくる。
スリッパに履き替え、囲炉裏のある板の間へ。
板の間の右に台所、左に炬燵の部屋。
炬燵の部屋の隣で土間の左にも大きな部屋があるが、使ったことが無い。とにかくみらいは広すぎて、使わない部屋の方が多いくらいだ。
台所と囲炉裏の部屋と炬燵の部屋はよく温まっていた。
「先にあっためといたんだぞ」とパパが言う。
ストーブというストーブをこの三つの部屋に集めたらしい。
残る一つは2階の寝室にあるという。
やっとここで人心地ついた。
1号館に着いて携帯を見ると・・・案の定、圏外。
2号館や5号館は電波が届くのだが、相変わらず1号館はほとんど届かないらしい。
残念だ。
忘れっぽい私は、ちくいち旅行の様子を
twitterでつぶやいておこうと目論んでいたのに。
それからしばらくして湯たんぽが届いた。
届けてくれたのは若井さんではなく、若井さんの所で働く若いお兄さんだった。
彼はその後、せっせと除雪機で1号館の周囲の雪を除雪してくれた。
パパが火起こしを持ってきた。
「これ見てよ。湯たんぽと火起こしが足りないって言ったら、これ持って来てくれた・・・」
火起こしというのは、鍋の底が格子になった金属の道具で、囲炉裏などの炭をおこすときに使うもの。
どう見ても新品ぴかぴか。
たった今買ってきたばかりらしい。
今夜の食事は蟹と鮭。
それから薪で焚いた露天風呂に入って炬燵でのんびり。
思ったほど1号館は寒くなかった。
最初に泊った時はこんなに寒い家は二度と冬には泊りたくないと思ったほどだったのに。