外は冷えていた。
通りは静まり返り、レトロなガス灯の形をした街灯の明かりが転々と見えるのみ。人っ子一人歩いていない。
何となく先々月の
飯坂温泉を思い出した。
けれど飯坂の寂れた雰囲気は、まだ夕方の7時頃であるにも関わらずメインストリートに人影が無かったことによるもので、草津の場合は既に夜も11時近く。おまけに湯畑が近づくに連れて、こんな時間にも関わらず人影はだんだん増えてきた。
「へーっくしゅんっ」
前を歩いていた一人が大きなくしゃみをした。
だださんがにやりと笑う。
二人三人と連れだって坂を歩く人影は、みんな無謀にも浴衣に丹前というスタイル。足下は裸足にサンダルだ。湯上がりかもしれないが、無防備すぎ。一人残らず両腕を組んで背中を丸めて小走りになっている。
対する私たちはスキーウェアのジャケットなんか着込んでいる。もちろんそれでも寒いことには変わらないが。
白旗の湯に着いたのは10時49分。
良かったぎりぎりだ。あと10分ぐらいある。
それでは11時にと約束して、私は女湯の戸を開いた。
白旗の湯は有名なところだが、そんなに広いわけじゃない。
脱衣所と浴室が部分的に仕切りはあるものの一体になった作りなので、湯気がふわふわと入り口辺りまで流れてくる。
こんな時間にも関わらず四人ほど先客がいた。
かこーん、と桶の音が響く。
客層は地元の方半分、観光客半分というところだろうか。
今回も脱衣所の床はかなりぬれていて残念に思った。
お風呂は木造の浴槽は横に長く、途中で部分的に仕切って、大小に分けてある。
そして仕切りの部分に湯口があり、湯量を調節できるよう、木の板がはめてある。板を外せば十字になっている溝を通り、左右の浴槽及び湯船の外にも直接湯が流れる。そうすると浴槽に入る湯量が減るからお風呂は少し冷めてぬるまるという仕組みだ。
今は木の板がはめられて、お湯は全て左右の浴槽に均等に流れ込むようになっていた。
左右は浴槽の広さが違う。
だから同量の源泉が流れ込めば、小さい方の浴槽は熱くなり大きい方の浴槽はぬるくなる。
お湯は青白かった。
綺麗な濁り湯になっていて、身を沈めるともう手足も見えなかった。
最初はぬるめの大きい方のお風呂に入った。
ぬるめと言っても草津の湯。普通に考えたら十分に熱い。
それでも熱い湯に馴れた体には物足りないぐらいだ。
隣の小さい浴槽は地元の女性が一人黙って浸かっている。
やがてその人が上がると、観光客らしい若い女の人が掛け湯を終えて熱い方に足先を入れた。
ちょっと躊躇した後、全身をひたす。
しかしやっぱり熱かったとみえて、10秒もしないうちに上がってしまった。
私は前回草津に来たときに、草津の時間湯を初めて体験して、それ以来どうも他の人に言わせると熱い湯に耐性ができてしまったようだ。
それでもそれが本当のことなのか、自分のことなので逆によく判らない。
だから熱い湯が平気になったのではなく、むしろ怖い気がする。
やっぱり熱い湯は熱いじゃないかって。
どこか限界を超えた熱い湯に会ったときに恐怖が倍増してしまうんじゃないかって。
今回も明日、もう一度時間湯を体験しようと思っているけれど、また
地蔵の湯で自分の限界を超えた湯に会って、逃げ出したくなっちゃうんじゃないかって、そんなことを考えていた。
前回は未体験だったから怖いもの知らずで何でもできたけど、今の自分は自分の限界に気づいてしまっている。
もちろん逃げるつもりは無いけれど、怖いものは怖い。嘘をついても仕方ないもの。
熱い湯に入ると私は膝下から足首までの間が猛烈に痛くなる。
地蔵の湯での最後の30秒。もう悲鳴を上げたくなるほど痛くなる。
足の血行が悪いんだろうな。
昔、早朝の
飯坂温泉鯖湖湯に入ったときも同じ場所が痛くなった。
ちなみに時間湯で熱い湯に耐性がついた今、鯖湖湯同様熱湯の
飯坂温泉八幡の湯に入っても全然熱く感じなくなっているが。
明日の時間湯に入れるかどうか、計る気持ちで白旗の湯の熱い方に入ってみた。
・・・。
うん、やっぱり熱い。
体感温度は実際のお湯の温度だけでなく、入り方や湯を適切にもんであるかどうかなど様々な要因で変わってくる。
だから共同浴場で熱く感じたからって簡単に何度のお湯までなら入れるとか一概には言えないのだが、それでもここは熱いと感じた。
飯坂温泉でも鳴子温泉でもけろりとしていた私だから、熱いと感じたのは久しぶりだ。
お湯がちりちりと皮膚をつつき、じんわりと末端の血管が開き、それからやっぱり膝下が痛み出した。
湯船から見て脱衣所側にレトロモダンなステンドグラスがはまっている。
ここは草津、白旗の湯。
紅葉も落ちた晩秋の夜に、絶え間なく湯の音が響くほの暗い湯どころ。