9.集会所は沈んでも思い出は沈まない
ドキドキしながら誰もいない浴室のドアを開けると、もう嬉しくなるくらいざあざあざぶざぶとお湯が出ている。
ニ、三人入れるかどうかという四角い木の浴槽には全開になった源泉蛇口からこれでもかという勢いでお湯が出ている。
狭い洗い場にある蛇口もまた全開になっていて、そこからも置かれた洗面器に向かって勢いよくお湯が出ていた。すくってみたらそれも源泉だった。
そしてその二ヶ所から出るお湯は排水も間に合わず、洗い場の床はおよそ5センチほど、常に温泉の洪水状態だった。
・・・脱衣所に「お尻をよく洗ってから入りましょう」といった張り紙があったが、うん、ただ洗い場に座っているだけで十分お尻は綺麗になると思うぞ。
先ほどの
川治の湯と違い、こちらはゆで卵の臭いがする。お湯からはさほど感じないが、肌には鉄臭も残るような感じ。
色は無色透明。すっきりと綺麗なお湯。
ごく柔らかい肌触りで、ぬれたまま腕をこするとオイリーなぬるぬるすべすべ感を感じる。
窓を開ければ目に鮮やかな新緑。
こんなに良い場所がまもなくダムに沈むなんて・・・もったいなさすぎる。
湯上がり、「なんだよう、旦那さんもお子さんもいるならみんな連れておいでよう、子供料金は取らないんだからさ、家族みんなで入っていきなよ」と受け付けてくれたおばちゃんたちが口々に言ってくれた。
ダムの水位が上がり、全部沈んだらどうなるか、二、三日のうちに会合が開かれ決定されるのだそうだ。
既におばちゃんたちの自宅や主な建物は、みんなもっと高い場所にある池の側に移転したのだそうだ。
この集会所もあと二、三ヶ月のうちには引き払うのだそうだ。
でもまた新しく同じような施設を作る予定があるという。
「新しい施設でも、奥さんがたは受付をされますか?」
「さあ、それはどうだかねぇ」
やはり今のこれがこのままずっとあるわけではないのだ。
おばちゃんたちがいてこその
西川温泉。
「あと二ヶ月は大丈夫だから、またおいでね」と手みやげに煎餅の袋をくれた。
食べかけなのだが、お子さんたちの分もと、卓上に出してあった分まで袋に戻して持たせてくれた。
何だか哀しいような、寂しいような。
でもやっぱり嬉しかった。
ダムの水底に沈む前に、西川温泉を訪ねることができて。