ようやく少し落ち着いたところで、もう一度掛け湯して(また針でつつかれるの嫌だなぁ)、そーっとぬるめから入る。
掛け湯した時に少し臭さがわかる。
入ると、このにおい、なんなんだろう。油ベース、そんなひどく臭くはないけど、古い工場に入った時の古い油のにおいというか・・・。
入る時もやっぱり全身チクチクした。
ここまで来たらどんと来い。あつ湯にも入る。
こっちもチクチク。玉川温泉のピリピリしみる感じとは全然違う。あっちは皮膚の弱いところ、薄いところが傷むけど、この時は鎖骨のあたりが痛かった。もちろん熱いお湯の刺激とも全然違う。
入っている間中、なんとなく恐怖に襲われて落ち着かなかった。
宗教・廃墟っぽさ・得体のしれないお湯とトリプル攻撃だよ。
さすがの私も上がる時にシャワーで全身のお湯を落としてしまった。
湯上りにトイレに寄ったら、トイレの全てのドアが閉まらなかった。全部枠が歪んで傾いているみたい。
帰りにフロントのおばちゃんに露天風呂に出られなかったと言ったら、「あれは上がり湯」だと言う。は? 私の知っている上がり湯は、入れない露天風呂のことじゃないが。
「じゃああそこに入っているのは温泉じゃないんですか? 湯気が上がっていたけど」
「温泉だよ。でも露天風呂じゃないからドアは開かない」
「???」
何から何まで衝撃的な西方の湯だった。
なお、後日やませみさんにうかがったところ、西方の湯は複数の源泉を持っていて時々使用する源泉を切り替えるため、今はそれほど臭くない源泉を使っているのであろうという話だった。
ということは、またいずれ鼻が曲がりそうに臭いお湯がお目見えするってことか。
あと、例のチクチクした異常な痛みに関しては、やませみさんものび太さんも「湯あたりではないか」と判断した。
まあ私としては、親鸞聖人を信仰していなかった自分に顕れた不思議現象だったということにしておきたい。