8.黒湯は次のお楽しみ
元の浴室に戻るため、ぎしぎし鳴りそうな古びた廊下を歩いていたら、くららさんが言った。
「ここ気に入ったなぁ。この佇まい、昨日回ったどこよりも好きな雰囲気かも」
そしてそっと脱衣所のドアを開けると、ちょうど男性陣も支度を終えたところだった。先に入っていた湯治客も既に上がった後らしい。
無人になった黒い湯を見て思わず入りたくなった私だが、くららさんが「さっき女将さんが、はしごしないで下さいって言っていたよ」と言ったので諦めた。
そうかそんなこと言っていたのか。ぼーっとした私は全然気づかなくて、うっかり誘惑に負けて入るところだった。
パパが更に「すごく良い湯だったよ」と追い打ちをかける。「
松之山にちょっと似ているかなぁ」
ふーん、そうなんだー。「油の臭いがきつそうなのは判るけど、松之山みたいにしょっぱ苦かった?」
「いや、味なんてみていないって」俺はマニアじゃないからな、と、付け加えたんだかどうだったか。
上がった時に入浴料のお釣りを渡しますと言われていたらしく、デビさんが帳場の方へ向かった。
無理を言って宿泊者専用浴室に入れてもらったお礼を言おうと私も後を追った。
帳場のところで女将さんが待っていた。
デビさんがお釣りを受け取って泊まっているのはキャンプ場だと伝えると、きつそうに見えた女将さんの頬がほころんで、「浴衣姿、粋ですね」と意外な台詞を口にした。