千代の湯に向かって歩きながら、今日は本当にいい天気だなと空を見上げた。
湯畑の周りは観光客で賑わっている。
千代の湯は湯畑から近い共同浴場の一つとして人気がある。
白旗の湯、
地蔵の湯と並び、観光客向けのマップなどにも積極的に記載されていることが多い。
三角屋根で直線的な作りの湯小屋で、暖簾を潜ると左右に男女別の共同浴場の浴室があり、正面に時間湯専用の浴室がある。
一応千代の湯の入り口には、直接来訪しても体験入浴が可能であるという記載があるが、時間湯入り口のノブの処には「関係者以外立入禁止」と書かれている。
ちょうど私たちの他にも、男性のお客さんが一人いた。
どうやら体験志望の観光客ではなく、湯治客のようだ。
ドアの奥では鈴木副湯長が支度をしていた。
私の顔を見て、思いだそうとしている。
「6月にもお伺いしました」
「あっ、はい、今日いらっしゃるって聞いてますよ」
脱衣所は隣り合わせに右が男性、左が女性。
誰もいないのでがらんとしている。
石油ストーブが置いてあるが火はついていない。
地蔵の湯は毎回湯治の人が沢山来るから、脱衣所も賑やかだった。6月は暖かい季節だったが、それでも時間湯は冷やしてはいけないからストーブが焚かれていて、狭い中にみんなで座っているので熱気がむんむんだった。
それと比較すると、今日のここは静かだなぁ・・・。
バタバタと忙しく浴室と外とを行ったり来たりしている副湯長が、私に「紺碧七さん・・・ご存じですよね? もしかしたら10分ぐらい遅れてくるかもしれないって言っていたんですけど」と話しかけてきた。
副湯長は紺碧七さんが来るのを待とうか、すぐに始めようか考えている風だった。
「10分ですか・・・」
「10分だけ待ってみましょうか」
そうしたら本当にきっかり10分遅れて紺碧七さんがやってきたので可笑しくなってしまった。
今回のメンバーは男性三人、女性一人。
私とパパとは一緒に入れてくれるようだ。
脱衣所があまりに寒かったので、どの段階で支度をしたものかちょっと迷ってしまった。
ふいに浴室から呼ばれて、服を着たまま中に入った。
神棚に向かって手を合わせる。
これもちゃんとした時間湯の作法なのだ。
もう男性陣はみんな支度を終えてバスタオル巻になっていた。
最初は湯治の男性が入湯するようなので、その間に急いで準備しなくちゃ。
ドア越しに浴室から聞こえてくる副湯長のかけ声や入湯者のオーという返答を聞きながら支度を済ませた。
そろそろだ・・・と思うとドキドキしてくる。
地蔵の湯ほどには熱くないはずだけど、久しぶりの時間湯はやっぱりそれなりに熱いはずだ。
やっぱり耐えられませんと途中でギブアップするような恥ずかしい真似はしたくないし、困ったな。
ようやく呼ばれた。
神妙な顔で中に入る。
湯気があがり、高いところにある窓から逃げていく。
お湯はほとんど透明に見えた。湯の花が少しある他は、透明度の高い緑色で見るからに熱そうだ。
副湯長が湯を汲む柄杓を二つ持って、脱衣所から見ると奥の方へいざなった。
湯口から遠い方にひとつ置き、パパにここをどうぞと示す。
私は湯口のある一番神棚に近いところに案内された。
こ、ここ・・・?
もしかして一番熱い場所じゃないか?
湯面の近くに丸い筒状の湯口があって、そこから勢いよくお湯が出ている。
「ここでいいですか?」
思わずちらりとパパの方を見る。
いいんじゃないの? という顔をしている。
「は、はい・・・がんばってみます」
熱いのは確かだが、一番良い場所に案内されたのも確かだ。これは逃げ出すわけにはいかない。
観念して柄杓を取った。