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ケアンズと森とビーチの休日

6.ヒンチンブルック島一日ツアーへ





 「レナー、早くおいで、早く早く」
 砂地の坂に簡単な階段が作ってあるそのてっぺんでカナが呼んでいた。
 レナは疲れて歩くのが遅い。パパとカナだけ先に行ってしまったが、カナはレナを迎えに戻ってきてくれた。
 「ここを登ればすぐだよ。海が見えるよ。水色のとっても綺麗な海だよ」



 六日目 5月1日(火)


 一昨年、行きたかったのに行きそびれてしまったところにヒンチンブルック島があった。
 今年こそここへ行きたいという話を掲示板に書いたところ、よく掲示板に来て下さるNaomiさんという方からあることをお願いされた。
 それはヒンチンブルック島一日ツアーのスタッフにとてもお世話になったから、感謝の気持ちを伝えてほしいというものだった。

 Naomiさんはウォンバットが大好きで、ウォンバットを確実に抱っこできる動物園を探していた。
 ケアンズトロピカルズーで抱っこできることもあるらしいし、日本の九州にあるカドリードミニオンでも抱っこはできるが、確実性や周辺観光などいろいろ考えて、彼女が選んだのはタウンズヴィル近くのビラボーン・サンクチュアリ動物園だった。
 ビラボーンでは10時と3時半にウォンバット抱っこタイムが設けられている(コアラは10時半と2時と4時、他にクロコダイルやパイソン抱っこタイムも)。
 ビラボーンのあるタウンズヴィルはケアンズからおよそ350キロ。車で6時間ほど掛かると思われる。
 ビラボーンに行くためにNaomiさんが選んだ宿泊地は、ケアンズとタウンズヴィルのほぼ中間よりは少しタウンズヴィル寄りの港町カードウェルだった。
 カードウェルは世界最大の国立公園島であるヒンチンブルック島の入り口となっている小さな町で、Naomiさん一家は去年の8月にカードウェルで四泊し、そのときにヒンチンブルック島一日ツアーにも参加している。
 そしてそのときのクルーズスタッフに改めて感謝の気持ちを伝えたいほどお世話になったのだそうだ。
 【Naomiさんのカードウェル紹介と滞在旅行記はこちらで Hello, Cardwell

 Naomiさんからはその人が判るように写真を預かっていた。
 その人は笑顔の眩しい大柄なオージーで、Naomiさん一家と並んで写っていた。



 天井近くの高い窓でずっとバタバタしていた蝶が、昨日何とか下に降りてきたので出口の側に連れていってやったがそこからなかなか出ていかない。昨夜子どもたちと外の花まで誘導してやったが、まだ朝になってもそこにいた。
 「大丈夫かな」と心配そうなカナとレナ。
 たぶん日が昇って暖かくなれば飛んでいくよ。二人が青虫から育てたモンシロチョウだってそうだったじゃない。

 いつものように朝日の撮影を終えたパパは支度を始めて、7時40分頃車を出した。
 今日はヒンチンブルック島一日ツアーに行く日。
 昨日ウォンガリンガのオフィスでこのツアーを申し込んだら、ロラリーが何度もビューティフルなところよと強調していた。

 ケアンズ周辺のほとんどの現地ツアーはアコモから送迎してくれる。近いエリアなら無料で離れたエリアからだと有料だったり、送迎を断って自力で行けばツアー料金を割り引いてくれるものもある。
 しかし珍しくこのヒンチンブルック島一日ツアーは送迎無しだった。
 いや、一応最寄りのカードウェルからなら送迎してくれるようだが、カードウェルに泊まっている人はそれほど多くないだろうから、レンタカーが無いとちょっと参加しにくいかもしれない。
 受付は朝の8時半。
 たぶんミッションビーチからカードウェルまでは1時間程度。
 予定より10分ほど出発が遅れてしまって、私たちは微妙に焦り気味。

 ヒンチンブルック島というのはカードウェルとルシンダの間の海に横たわる大きな島だ。
 ミッションビーチからもうっすらとその島影が見えている。
 島の面積は339km2。島全体がヒンチンブルックアイランド・ナショナルパークという国立公園に指定されていて、山と熱帯雨林とマングローブと入り江とビーチでできている。
 泊まりたい人には、ヒンチンブルックアイランド・ワイルダーネス・ロッジという宿泊施設と複数のキャンプ場がある。
 とにかく大陸からほとんど離れていない島で、地図を見るとまるで大きな川で分断された半島のようにも見える。
 ヒンチンブルック島に行く方法は二つ。
 カードウェルからヒンチンブルック・エクスプローラーというフェリーで行くか、カードウェルの南50キロほどの所にあるルシンダからヒンチンブルック・ワイルダーネス・サファリのフェリーで行くかだ。
 行きにカードウェルからのフェリーに乗って、島内をキャンプしながら歩いて、帰りにルシンダ行きのフェリーに乗る方法もある。
 私たちの申し込んだ1日ツアーは、カードウェルからヒンチンブルック島のラムゼイベイに寄り、ケープ・リチャーズを経由してまたカードウェルに帰るというもの。
 もうちょっと詳しく説明するとこんな感じだ。
  • カードウェルのポートヒンチンブルック・マリーナで乗船受付
  • マリーナ出航ヒンチンブルック島へ
  • ケープ・リチャーズ到着 ヒンチンブルックアイランド・ワイルダーネスロッジ宿泊者を降ろす
  • ミッショナリー・ベイの湾内でジュゴン・ウォッチング
  • ミッショナリー・ベイに面したクリークを遡り、マングローブ・ウォッチング
  • クリークで下船してボードウォークなどを歩いて島の反対側のラムゼイ・ベイにあるビーチで遊ぶ(ここから別れてウォーキングコースを歩きルシンダ行きフェリーに乗ることも可)
  • 再び船に乗る
  • マクシラからケープ・リチャーズまでウォーキングする人だけを降ろす(小舟で)
  • ウォーキングしない人は真っ直ぐケープ・リチャーズに戻る
  • ケープ・リチャーズのヒンチンブルックアイランド・ワイルダーネスロッジのレストランでランチを食べたり、オーキッドビーチで遊ぶ(マクシラからウォーキングしてきた人も途中で合流)
  • ケープ・リチャーズからカードウェルのポート・ヒンチンブルック・マリーナに戻る

 私たちはウォーキングをせずにビーチでのんびりするプランを立てていたので、とにかく船に乗っていれば良いということになる。
 ちなみにマクシラからケープ・リチャーズまでウォーキングする人は当日マリーナで申請すれば良い。

 まあこんなことを書いてみたが、そのときの私は行程をまったく知らず、全てパパ任せだった。帰ってきて整理してようやく自分がどういうルートを通っていたのか理解したところ。



 空はよく晴れていたが、ウォンガリングビーチからブルースハイウェイに出る手前で何だか前方の雲行きが怪しくなった。
 黒雲が湧いてきたというのではなく、薄靄のようなものに包まれるような感じ。
 あっと言う間に霧の中。
 何も見えないと焦ったのもつかの間、またあっと言う間に霧を抜ける。
 さっきまで雲一つ無かったのに不思議。
 見ると左手の山の麓にその朝霧が溜まっていた。あの中に突っ込んだらしい。
 後はまた晴れ空。

 「もう旅行の半分が過ぎちゃったんだよね」とパパ。
 11日の行程とすると、今日が6日目。
 「でも初日は日本からオーストラリアに移動しただけだから実質10日の5日目が始まったところだよ。今日が終わってようやく半分」と私。
 「そうだね」
 「そうだよ」

 ブルースハイウェイはさとうきび畑が続く。
 タリーの信号でストップ。
 さて、このケアンズからタウンズヴィルまで続くザ・グレート・グリーンウェイことブルースハイウェイには数えるほどしか信号機が無いらしいが、一応タリーには二機ほど設置されている。
 それがまた、これでもかこれでもかというくらい一ヶ所に大量の信号機。
 縦横ナナメ・・・何もこんなにはいらないだろうと思ったが、帰り道、大型トラックが前を走っていて理解した。この辺の車は家まで積んで走るらしいから、前の車が邪魔で赤信号が見えなかったらまずいものね。

 タリーを越すと、まだ知らない道。
 景色はイニスフェイルからタリーに向かう道とあまり変わらず平野の先に山地が見える。
 さとうきび畑と放牧地をいくつも過ぎて、いつの間にか左手が海だと思ったらそこがカードウェルだった。

 ハイウェイはほぼカードウェルの中央を貫いている。
 左手の景色は木立とその向こうに海。
 右手の景色は田舎の港町。
 町の歴史は古いようだが、それはきっとヒンチンブルック島周辺の浅瀬が良い漁場になっていたからだろう。
 何となく垢抜けない、こう、釣り好きの親爺が週末を過ごすためにあるようなところ。
 入って直ぐの左手にシーフードショップが、右手に大きなカニのディスプレイがあるシーフードレストランがあって、町の真ん中で電信柱に取り付いている人形はカードウェル・ブッシュ・テレグラフというミュージアムのものらしい。

 ところが町の南にあるポート・ヒンチンブルックにやってくると雰囲気は一変する。
 マリーナという響き自体が既に高級感を持っているのだが、それにしても例えばポートダグラスのマリーナは高級さとともに結構オンボロ船が停泊していたりして親しみやすさを感じたが、ここは何もかも綺麗に整って取っつきにくさを感じるほどだった。
 あまりにも町の雰囲気と違う。えらくお金の臭いのするマリーナだ。
 整然と椰子の木が並ぶ広々としたエントランスを進んでいくと、うっかり別荘の分譲地の方に迷い込んでしまった。
 この辺りはまだ未完成のようだ。
 これからあと数年のうちに、もしかしたらカードウェルの町自体が変わっていってしまうのかもしれない。

 マリーナの駐車場に車を停めたのが8時40分。
 ちょうどウォンガリンガから1時間掛かってしまった。受付はもう始まっているはず。出航時間は9時だ。
 急いで子どもたちを降ろす。バスタオルやシュノーケルセットを積んだビーチバッグも降ろす。
 私たちは水着を着て、その上にリゾート風の服を着ていた。昨日のお隣さんのアドバイス通り。足下はマリンシューズ。

 受付の横にはジュゴンの像があり、受付の看板にもジュゴンが描かれている。
 ヒンチンブルック島のマスコットは人魚のモデルになった海に住む哺乳類ジュゴンだ。
 ジュゴンは決まった海草しか餌にしないため、生息海域は限られる。世界のジュゴンの大半がオーストラリア沿岸に生息し、日本では南西諸島のごく一部にのみ生息している。
 以前、沖縄のカヌチャベイ・ヴィラズに泊まったとき、東海岸の大浦湾が貴重なジュゴンの生息域であることを知った。
 米軍基地の移転問題に絡んで、「ジュゴンを守れ」というプラカードもあちこちで目にした。

 パパが受付をしている後ろで私は子どもたちを見ていた。
 すると荷物を持った男性が後ろを通過した。
 すれ違いざまに見た顔は、確かにどこかで見た顔・・・。
 「あっ、今の人だ」
 Naomiさんの写真にあったオージー。確かにあの人だ。

 すぐに追いかけて呼び止める。
 写真を撮りだして指さした。
 「これはあなたですか?」
 「Oh」
 オージーは吃驚して私の顔を見た。
 でもあまりに急だったのでどう伝えて良いか言葉も考えていなかった。
 えーと、ど、どうしよう。

 どうやって感謝の気持ちを伝えれば良いか昨夜も考えた私はとりあえずバッグに折り紙を入れてきた。
 折り鶴なら得意中の得意。これを渡してみよう。
 写真のオージーは2mほど先の桟橋の入り口で知り合いと話し込んでいる。今がチャンスだ。
 ところが立ったまま大急ぎで一羽折り上げたものの、その隙に彼は桟橋の先へと歩いていってしまった。
 そこへ受付を終えたパパが振り返った。
 「どうしたの?」
 「今の人だよ、今の人がNaomiさんの写真の人なの」

 心配しなくてもその人は今日のツアーのキャプテンだった。
 私たちが乗る船の入り口で待っていてくれた。
 私は鶴と写真を出した。
 そして写真のNaomiさんを指さして「これが私の友達。そして彼女からあなたに、ありがとうを伝えてくれと頼まれたの」
 私の英語はたいそう怪しいものだったが、後からパパも同じ内容を補足してくれたから伝わったと思う。
 彼は感慨深そうに写真と鶴を受け取った。



 よく晴れたマリーナは船こそ沢山浮かんでいたがほとんどひと気がない。
 建物も船もマリーナも全て新しくぴかぴかなので、まるで映画のセットか何かのようだ。
 私たちの乗るヒンチンブルック・エクスプローラー号は2階建ての平たい白いフェリーだったが、この中にいる乗客も数えるほどだった。
 一昨年のダンク島行きフェリーもそうだったけど、こんなんで採算がとれるのだろうかと思われる空きっぷりだ。
 中に入るとキャプテンが子どもたちに貝や化石の入っている箱を出して見せてくれた。
 子供の顔ぐらいありそうな大きな巻き貝。そのまんまの形のカニの化石。
 ヒンチンブルック島は国立公園だから私たち観光客は貝などを持ち帰ることはできないはず。でもこんな凄いのが落ちていたりするのかな。

 パパはキャプテンに呼ばれてキャビン後方のカウンターの中に連れて行かれた。
 どうやら飲み物はセルフサービスだよと教えられたらしい。
 私たちが行くとパパはバーテンダーよろしくカウンターの中から「お飲物はお茶でよろしいですか?」と聞いてきた。

 船が出航してゆっくりと進み始めたので二階のデッキに登ってみた。
 見晴らしが良い。
 ホントいい天気だ。
 船は椰子の並ぶ白いマリーナを離れ、入り江を出ていく。
 何だか素敵な景色だ。

 マリーナを出ても前方にも後方にも陸地が見えるので、海に出たという気はしない。
 この辺りはヒンチンブルック・チャンネルと呼ばれ、大陸とヒンチンブルック島を隔てる内海、というか、河のようなもの。
 外海ではないので波も静か。ほとんど船は揺れない。これなら船酔い体質のパパも心配ないようだ。
 上空の空は綺麗に晴れているが、陸地の上にはぽかりぽかり白い雲が浮いている。
 特に山にはよく雲が引っかかっている。
 山に雲の影がそのままの形で落ちているのが面白い。
 水面が光を反射してきらきら光っている。

 前方に最初に見えてくるのはヒンチンブルック島の北端、Hecate Pointだ。ぎっしりと表面がマングローブに覆われている。
 その北端を回り込み、正面に見えてくるのがヒンチンブルック島の隣に浮かぶ小島Gooldアイランドと、さらにその手前のもっと小さな島Gardenアイランドだ。
 この辺りの海はとても浅くなっていて、時々干潟のようなものが海面に見えることがある。
 船は浅瀬に乗り上げないように決められたコースを通る。要所要所には目印となるマーカーが設置されていて、島影とマーカーの重なり具合などを確認しながら進んでいく。
 子どもたちは地図で見るGooldアイランドの形がポケモンのキノココに似ているというのでキノココ島と呼んだ。

 船の進行もほぼ直線でキャプテンも少し暇そうに見えたので、私は船に置いてあるゲストブックからNaomiさんの書き込みを見つけて見せに行った。
 「これがさっきの写真の私の友人」
 キャプテンは、いつの書き込みと私に聞いた。ゲストブックには日付を書く欄が無く、日付が入っているものと入っていないものとまちまちだったから。
 「去年の8月」
 「去年の8月か・・・」
 ふーむとキャプテンはちょっと遠い目をした。何か思い出そうとしているようにも見えた。

 船は右にヒンチンブルック島、左にキノココ島を見ながら進み、ごつごつとした岩場を回ってケープ・リチャーズに到着した。
 白い桟橋が近づいてくる。
 どうするんだろう、私たちはここで降りるんだろうか?

 桟橋からリゾートのスタッフが近づいてきた。
 どうやら今ここで降りるのはヒンチンブルックアイランド・ワイルダーネスロッジ宿泊者だけのようだ。
 オージーと東洋人のカップルが一組降りた。東洋人は髪の長い女性で、日本人ではなさそうだ。
 たまたまなのかもしれないけど、現地ツアーでは年輩者を含めて奥さんが東洋人、旦那さんがオージーというカップルをよく見かけるような気がする。逆パターンにはまだ会ったことがない。
 人間の他に、ロッジで使用する食糧や備品も降ろしていた。やたらとNERADAティーの箱が目に付いた。ダンク島行きフェリーでも思ったが、こうした船は日帰り観光客だけでなく、リゾートの宿泊者やリゾートの食糧を運び、帰りには廃棄物も運ぶ役目を持っている。一日観光ツアーのお客さんが少なくても、こうした需要があるから運営が成り立っているんだろう。

 誰かが桟橋の方で呼んで、みんな桟橋に集まっている。
 私たちも行ってみよう。

 桟橋脇の海の中をみんなで指さしてわいわい言っている。
 何か来ているらしい。
 ゆらりと茶色のものが動いた。
 フェリーのスタッフが餌を取りだして水面に近づけた。

 バッシャーーーン

 巨大なナマズのような魚がそれに飛びついた。
 お世辞にも美しいとは言えないまだらの顔、離れた目、分厚いくちびる。
 「今のは何?」
 「スライだよ」とスタッフ。
 「ああ」とパパ。ヒンチンブルック島一日ツアーのリーフレットに「Sly」の餌付けとあったけど、あれがスライか。
 レナに今の魚、どれくらい大きかった? と聞くと、こーんなに、と両手を広げてくれた。

 船は桟橋を離れ、また航行を始めた。
 いつの間にかフェリーの後ろにロープでボートが取り付けられている。
 進んでいる場所はケープ・リチャーズから少し戻って、先ほどのキノココ島とヒンチンブルック島の間にあるミッショナリー・ベイの湾内だ。
 適当に進んだところでエンジンがストップした。
 キャプテンがデッキに登ってきてみんなを集める。
 後方をじっと睨め回し、一点を指さした。
 「ジュゴン」
 えっ、どこどこ。
 カメラを持って手すりに近づいた私を、キャプテンはわざわざ一番前に連れてきてくれた。
 かなり離れた海の上に茶色のものが見えた。
 見えたけどすぐに潜ってしまう。
 全員が目で追う。
 もう少し左の方にまた顔を出した。
 でも呼吸するとすぐに潜ってしまうらしい。
 あれよあれよと言ううちにジュゴンは遠ざかっていってしまった。
 「カモノハシに比べれば、確かに見たなって感じだったな」とパパ。
 カモノハシもジュゴンも、また見たことはないけどクジラやイルカも水面で呼吸しなくてはならないから水上からのウォッチングが可能なんだな。
 何だか勝手にジュゴンって白っぽいイメージがあったけど、実は大人のジュゴンは茶色いことを初めて知った。

 船はそのままミッショナリー・ベイの湾内に向かってどんどん進んだ。
 ヒンチンブルック島のこの湾にはいくつもいくつも網の目のように入り組んだクリークがある。
 そしてそれら全てがタコの足のようなマングローブに縁取られている。
 船はクリークの一つに入った。
 最初は大河のように見えたクリークだが、だんだん先細りになってくる。
 正面にはこれまたえらく印象的な山が聳えていた。
 ごつごつの花崗岩でできた島の最高峰マウント・ボウエン。
 まるで山からもくもくと雲が湧き出ているようだ。
 西部劇に出てくる岩のようなものが突き出している。
 ひとつ離れて一番左手にある岩はNinaピークと名前もついていた。

 私なんかはマングローブの生い茂るクリークって、ケアンズ周辺で最も珍しくない景色の一つだと思っているが、お隣さんの元シドニー在住の奥さんはこの景色に感動したと言っていたし、前にオーストラリアの写真を見せたとき私の実母も珊瑚礁の海やビーチよりもマングローブとクリークの景色の方がオーストラリアらしい感じだと感想をもらした。
 もちろん日本では見られない景色だし(沖縄にちょろちょろとあるマングローブは珍重されているが)、こういう景色も大好きだ。特にヒンチンブルック島のマングローブはボウエン山の景観と併せて迫力がある。

 白い球形のブイが浮かんだ場所でフェリーは停止した。
 ここからはさらにクリークが狭く浅くなるのでボートに乗り換える。ボートは先ほどケープ・リチャーズからロープで引っ張ってきたあれだ。
 7、8人の乗客とスタッフたちが乗り込んで、モーターボートはぐんぐん進む。
 フェリーより水面が近い。
 この辺りのマングローブも如何にもワニが出そうだ。

 しばらくボートはクリークの奥へ奥へと進んで、左手に見えてきた白いプラットフォームのところで停まった。
 マングローブの中に出現したプラットフォームからは水中まで梯子が続いている。どうやらここから陸地に上陸するらしい。

 手すりに取り付いて梯子を登りプラットフォームに着くと、ここからマングローブの中を木道が渡っていることに気づいた。
 マングローブを傷つけないように上陸できるようにとの配慮だ。
 木道を渡り終えるとただっ広い砂地の場所に出た。
 ぽつぽつと木が植わっていて、右手にさっきのボウエン山が見える。水のないビーチのような不思議な場所だ。
 この砂地を横切るのにレナは四苦八苦していた。行き先がどこだか判らないので歩く気力が出ないらしい。おまけに太陽はじりじり。熱射病になりそうだ。
 みんなはどんどん行ってしまった。
 パパとカナも。
 正面にちょっとした坂があって簡単な階段が作ってある。
 みんなもうあの坂を上って向こう側に行ってしまったらしい。
 「レナ、がんばれ。あと少しだよ」
 「あと少しってどれくらい?」
 履いているマリンシューズの中にも砂が入ってきて気持ち悪いらしい。何度か脱いでは払っている。
 でも脱いで砂の中に足をつけば、益々足も靴も砂だらけ。それが嫌で益々機嫌が悪くなる。
 「ほら、あの階段を登ればきっと終点だよ」
 そう言ったとき、階段の上にカナが現れた。戻ってきてくれたのだ。
 「レナー、早くおいで、早く早く!! ここを登ればすぐだよ。海が見えるよ。水色のとっても綺麗な海だよ」
 レナは力を振り絞って歩き始めた。
 カナはレナの手を引いて上げる。
 階段を登るとその後ろから海がせり上がってきた。
 ホントだ。
 すごく綺麗な水色の海だ。
 二人は並んで海に駆けていった。
 そこは広い砂浜で、先に着いたみんなはめいめい荷物を降ろしてくつろいでいた。
 外海に面したラムゼイベイに着いたのだ。

 貝殻がいっぱい落ちている。
 誰も拾わない国立公園だと波に打ち寄せられるままどんどん溜まっていくからだろう。
 男性が一人、ボウエン山の方に歩き出した。何も荷物を持っていないからトレッキングをするというわけではなく散歩のつもりだろう。
 カップルが一組、さっさと水着になって海に入っていった。
 私たちも行こう。せっかくシュノーケルセットを持ってきたんだし。

 足下の水は怖いくらいに透明。
 空の色もインクを流したみたいに真っ青。
 カナはいつもシュノーケルセットを使わず水泳用ゴーグルだけだから、カナのシュノーケルを借りた。
 じゃぶじゃぶと入って顔を水につける。
 綺麗な水だ。でも砂地なので魚はいない。
 足の届く範囲で少し先まで行ってみたけど魚はいない。
 魚はいないけどまあいいや。こんなに綺麗な海なんだもの、浮かんでいるだけで。

 パパは膝下までしかぬらさなかった。
 「どうして海に入らないの?」と聞くと、
 「ここでは入らない。後で別のビーチに移動するからそのとき入る」と言う。
 へー、全然行程表とか見ていなかったから知らなかった。他にもビーチに行くんだ。
 パパの選択は意外と正解だったかもしれない。
 子どもたちはしばらくするとぶるぶる震えながら海から上がってきた。
 「寒い、もう無理」
 私にしてみればウォンガリンガのプールの方がよっぽど寒いと思うのだが、無理はいけない。持ってきたゴム入りバスタオルで子どもたちをすっぽりとくるんだ。
 ちょうど集合時間も来た。
 私たちはまた、さっきの海のないビーチのようなところを歩いてプラットフォームからボートに戻った。

 ボートでクリークを下り、フェリーに乗り換えると、パパがビスケットを持ってきてくれた。
 丸いビスケットとクマの形のビスケット。素朴な味がする。これを食べて子どもたちも元気が出てきたみたい。寒くなくなったと言い出した。そしてレナなどフェリーのベンチで風に吹かれながら寝入ってしまった。

 船はまた、ミッショナリー・ベイの浅瀬を見ながら島の外海に回り、岩だらけの岬の手前にあるビーチが見える場所で停まった。
 一人の女性がスタッフに付き添われてボートに乗った。
 後から判ったがここがマクシラで、ボートに乗った女性はマクシラからケープ・リチャーズまで歩くコースを申し込んだ人だった。
 「やるなぁ、女性一人で」とパパ。
 女性とスタッフを乗せたボートはぐんぐんビーチに近づいていった。
 ビーチにはきちんとしたトイレの設備があるのが見えた。
 フェリーはボートが戻って来るのを待たずにまた動き始めたが、ボートは女性を降ろすと猛スピードで追尾してきてすぐにフェリーに追い付いた。

 フェリーはマクシラから岩場をぐるりと回り込む。
 岩場とというのはかなり大きなごつごつした岩で、東京ディズニーランドにあるビッグサンダーマウンテンみたいな感じだ。
 岩場の奥にもちょっとしたビーチがあって、フェリーはそのビーチの正面をぐるりと一周した後、岩場の間に突き出した桟橋に向かった。
 ここは朝、巨大魚スライを見た、ロッジに続く桟橋だった。
 今度は私たちもここで降りるのだ。

 桟橋からはもうスライは見えなかった。餌をもらえる時間だけ姿を現すのかもしれない。
 椰子の木陰の間に砂地の小径が島の奥へと続いていて、船を降りたみんなはぞろぞろと歩き始めた。
 すぐ側の木を青い蝶ユリシスがふらふらと飛んでいる。
 歩き始めてすぐに左手に南太平洋のリゾート辺りにありそうな雰囲気のレストランが見えてきた。
 大きな多角形の建物で木の板で葺いた屋根はあるが吹き抜けのオープンエア。
 籐でできた椅子は背もたれが高く、テーブルは円形で真っ白なレースのテーブルクロスが掛かっている。
 強い日差しの下から急に屋根の下に入ると、しばらくは目が慣れなくて真っ暗に見えた。

 綺麗に磨き上げられたレストランだったが、ほとんど誰もいない。
 このツアーの参加者だけが席に荷物を置いたり隅にあるソファでくつろいだりしていた。
 このレストランの隣にこぢんまりとしたプールが見えていて、さらに入ってきた方と反対側に抜けると先ほどフェリーから見た岩場の向こうのビーチに出るらしい。
 「これからどうするの?」
 「3時50分に船が出航するからそれまで自由時間」
 今が1時ちょっと前だから3時間弱、ここで過ごすことができるというわけだ。
 「お腹が空いたからまず何か食べようよ」とパパが言った。
 「ねぇ、プールで遊びたい。もう海じゃない方がいい」とカナが言ったので、パパは食事が来るまで遊んでいていいと許可した。

 私とパパはカウンターのところに行った。
 グラスが沢山下がっている。
 メニューを見てパパは嬉しそうにウォッカを注文したが、残念ながらウォッカは無かった。仕方なくいつものビール。
 私はホワイトワインを頼んだら、ハウスワインでいい?と聞かれ、バーテンダー兼売店のお兄さんは後ろの冷蔵ドアを開けて栓の開いた数本のワイン瓶を確認して、そのうち一本からグラスに注いでくれた。
 料理はヒンチンブルックミックスグリルとバラマンディのグリルを頼んだ。
 ヒンチンブルックミックスグリルというのはソーセージ、ステーキ、ラムチョップ、ベーコンなどの肉類とサラダの盛り合わせ。
 バラマンディのグリルには日本のヤキソバのような沖縄の沖縄そばのような不思議なヌードルが付いてきた。
 どちらもとても美味しくて正解。
 一日ツアーの料金の中には昼食代15ドルが含まれている(マクシラから歩きたいと言った人にはランチパックが用意されるようだ)。
 その15ドルはこのレストランで自由に使えるようになっていて、私たちの場合は四人で60ドル。これを28ドルと25ドルの料理に使い、残りをアルコール代に使って足りない分は現金で払った。

 屋根のあるオープンエアのレストランは涼しく快適だった。
 食事をしていると大柄なシェフが席までやってきてにこやかに「どうですか? 美味しいですか?」と聞いた。
 「とっても美味しいです」
 何だかちょっと高級感がありながら気さくな感じ。
 パパはシェフの後ろ姿を見て、絶対あの人イタリア系だよなとつぶやいた。

 私たちが席で飲んだり食事をしたりしている間、他の人たちはほとんどビーチの方に行ってしまったが、一組だけやはりレストランで休んでいる人たちがいた。
 いかにもリタイヤ後の人生を楽しんでいますという雰囲気のオージー老夫婦だ。テーブル席ではなくソファの方に座って飲んでいるらしい。
 売店でお土産のポロシャツを買いたいらしいが、旦那さんがLLサイズなので奥さんは次々とサイズ違いのものを持ってきては大きさが合うかしらと背中に当ててみていた。ポロシャツは胸にジュゴンのマークが入った、このヒンチンブルックエクスプローラーのスタッフとお揃いのものだ。
 奥さんはやっと旦那さんの体格に合うサイズを見つけたらしく、今度は旦那さんの着ていた服を脱がせて買ったばかりのポロシャツを着せていた。旦那さんは為されるがままだ。

 それが一段落して旦那さんが私たちの席にやってきた。
 ビデオの録画が上手く行ったので見てほしいと言う。
 ボタンを押すと、さっきのスライの餌付けの場面が始まった。
 スライが何度も水面に顔を出しては餌に食いつく場面が写っていた。
 私たちが桟橋に行くのが遅すぎて、最後の一回しか見られなかったが、実は何回もスライは顔を出していたらしい。
 旦那さんのおかげで私たちもその様子を見ることができた。
 「どうですか?」とにこにこと旦那さん。
 「どうもありがとう、見せて下さって」
 こういう交流もちょっと嬉しい。

 子どもたちはプールで遊ぶのにもすぐ飽きてしまって、食後の私たちがビーチに行くと言うとしぶしぶついてきた。
 「海はもう入らない」
 「はいはい、お好きなように」
 レストランの階段を降りるとオーキッド・ビーチ。
 先ほどフェリーが桟橋に着く前にぐるりとビーチの前で一周したが、確かにここはそのとき見えていたビーチだった。

 ほとんど人がいない。
 一緒に来たツアーの人たちもみんなどこへ行ったのか、例の老夫婦が私たちと前後してレストランからビーチに降りてきただけで他の人の姿はない。
 何だかプライベートビーチみたいな感じだな。
 ビーチとしてはさっきのラムゼイベイにあったビーチの方が広くて透明度が高くて海の色も綺麗だったけど、ここはその代わりに自由に使えるカヤックやリラックスできるハンモックなどが用意されていた。

 子どもたちはもう海には入らないなんて言っていた割にはさっさと波打ち際まで駆けていってしまった。
 パパが赤いカヤックを出すと二人とも乗り込んだ。
 なんか楽しそうにあっちこっちに漕ぎながら進んでいる・・・と思ったら、ビーチにぶつかって転覆した。バッチャァ~ン。

 もう頭から海の水をかぶってしまったのでどうでもよくなったらしい。二人ともじゃぶじゃぶと海の中に入っていった。
 私もシュノーケルセットをつけて海中を覗いてみたがやっぱりここも砂地で魚の姿は見あたらない。
 ヒンチンブルック島は大陸沿岸に近いので少しばかりクラゲの被害も心配なところ。一応ツアーでは、「今はクラゲシーズンだけど、まだこのツアーで刺された人はいないよ」と言っている。後は自己責任でということだ。

 ビーチの左手に岩場があるのでマリンシューズを履いて様子を見に行ってみた。
 岩場ならもしかしたら魚がいるかもしれない。
 しかしこの岩場は危険だった。
 後からとっても後悔した。
 魚がいる様子は無い。
 岩と岩の間の潮溜まりにも海草のようなものが引っかかっているばかり。こんなに水が綺麗なのに何もいないのかな。
 靴も履いているし大丈夫だろうと少し奥の方まで進んでいったら、ちょっとバランスを崩して慌てて岩に手をついたら・・・。
 そんなに思いっきりではなく軽く手をついた程度だったのだが、岩にびっしりと付着しているふじつぼとか牡蠣とかそんな感じの何かが私の手の平に当たった。
 見てみると並行に二ヶ所、さくっとかみそりで切ったような傷ができている。
 や、やばいと焦ると今度は逆方向にぐらっと体勢を崩してしまった。
 左足の腿を別の岩がかすった。
 こちらもかすっただけなのに数カ所擦り傷ができて血がにじんできた。
 うわー、毒とかばい菌が付いていたらどうしよう。こんな所に来るんじゃなかった。子どもたちは絶対連れてこないようにしなくちゃ。
 早々にビーチに逃げ帰った。

 傷とか血とかたいそう苦手な私は、そう言えば今回は消毒薬もオーストラリアに持ってこなかったんだということを思い出し、またまた後悔した。
 とりあえず後で絆創膏を貼ろう。
 子どもたちはまだ浅瀬で遊んでいる。
 パパの姿がないと思ったら、木陰のハンモックで気持ちよさそうに熟睡していた。

 3時半頃。
 そろそろ帰る準備をしようと子どもたちをトイレに連れていった。
 パパがトイレにシャワーもあったと言うのでレストランの後ろにあるトイレを借りた。
 シャワー室の天井にゲッコー発見。
 向こうも「しまったバレたか」と思ったのか、早々に逃走を始めた。

 桟橋近くの岩に寄生植物が張り付いているのを見て、レナは「ずるっこさんだ」と大喜び。
 三日前にネイチャーガイドをしてくれたwillieさんの話をちゃんと覚えている。
 「うん、この植物ね。私たちが泊まっている部屋の真ん前の椰子の木にもくっついているよ」
 「えっ、ホント?」興味津々のレナ。
 「帰ってから見ればいいよ。教えて上げる」
 椰子の木の幹の途中から芽を出すならメリットもあるけど、こんな小さな岩から芽を出しても寄生植物もメリット無いだろうに。
 仕方ないか。自分で住むところを選べないのが植物の宿命だ。

 フェリーには私たちの他、マクシラで降りていった女性や、ヒンチンブルックアイランド・ワイルダーネスロッジに宿泊して帰るお客さんも乗っていた。
 赤ちゃん連れの一家も。
 宿泊者の荷物にはロッジのタグがくくりつけられていて、タグのマークも可愛いジュゴンの親子。
 フェリーが桟橋を離れると桟橋に立っているロッジやレストランのスタッフたちが手を振って見送ってくれた。
 なんか良かったな、ヒンチンブルック島。
 後でパパが言っていたけど、ダンク島の帰りはやっぱり宿泊者を乗せていたのにスタッフは手を振って見送ってくれなかったって。ウェルカムの時はお姉さんたちのゴージャスなおしぼりサービスまでやっていたのに。
 ヒンチンブルック島関連のスタッフはみんな親切でフレンドリーだった。
 もちろんこのフェリーのスタッフも。
 島の雰囲気もとても良かったし、いつか泊まるとしたらこの島に泊まってみたいな。
 フェリーは白い尾を残して島を離れ、スピードを上げた。
 相変わらず波は静か。
 子どもたちはまたビスケットを食べ、デジカメをいじって今日撮った画像を見たり海を撮影したりしていた。
 さようなら、ヒンチンブルック島。

 陸地が近づいてくると何だか空が暗くなって水の色も濁ってきた。
 どうやら島では晴れていたみたいだが、陸地の方は雲が多かったのかもしれない。
 フェリーはポート・ヒンチンブルック・マリーナに到着して、私たちはクルーと握手して船を降りた。

 レナに構っていたらまたまた遅くなってしまった。
 パパとカナはもうマリーナを出て駐車場へ向かっている。
 追い付いたところは朝受付をした入り口に面した道路だった。
 おや、何かトラブルでもあった?
 カナがパパを怒っているように見える。
 「どうしたの?」
 「あのね」とカナ。「お姉さんがジュゴン見えたって聞いたのにパパったらノーって答えたんだよ」

 つまりこういうことだ。
 マリーナを出るときにそこのお姉さんに「ジュゴン見えた?」って聞かれて、ちゃんと見えたはずなのにパパは「見えなかった」と答えたと。
 ここで大切なのは、カナにはお姉さんの英語が正しく聞き取れたのに、日頃我が家の通訳を一手に引き受けているパパに正しく聞き取れていなかったということだ。
 カナは二年前からECCジュニアに通って週に一回英会話を習っている。本人の性格もあるだろうが、家でこなしている宿題の回答率を見ていても彼女の英語能力はちっとも伸びているように見えない。シャイなので自分から決して人に話しかけようともしないし。
 にも関わらず、今回お姉さんがしゃべった言葉をさらっと理解したことに驚いた。私は結構嬉しかった。
 逆にパパはブッキングなど大切な内容はしっかり聞き逃さないようにしているが、雑談ではハハンと適当に相づちを打っていただけだと言うことが子供に思いっきりばれてしまった。
 この一件にはこんな我が家の事情が現れている。

 もう夕方の日差しになっていた。
 駐車場から車を出すと、行きに別荘地に迷い込んでしまったように帰りもよく判らない場所に迷い込んでしまった。何だかポート・ヒンチンブルックは迷路のようだ。
 足の長い鳥が二羽いて、私たちの車が通るのが気にくわないのか威嚇して追ってきた。よく見たら黄色いぴらぴらを頬から垂らしたズグロトサカゲリだった。巣でもあったのかな。でもここ、道路なんだからそんなに怒らないでよ。

 「帰りにカードウェルでシーフードショップに寄ってみよう」とパパ。
 行きに見かけたあの巨大カニディスプレイのあるMUDDY'Sレストランの斜め前の店だ。
 何だかガソリンスタンドの建物を小さくしたようなそこは、外壁にテイクアウェイフーズだとかフィッシュ&チップスだとかローカルフィッシュだとか書かれている。
 薄暗い店内では少し太めの奥さんが店番をしていた。
 パパがシーフードはありますか?と聞くと、大きな白い冷凍ケースを開けて見せてくれた。
 どうやらこの店はミッションビーチのシーフードショップと同じで冷凍物がメインらしい。生ものを期待していたパパとしてはちょっとがっかりだったようだ。
 とりあえず冷凍でもオイスターとエビを買うことにした。ついでに牛乳とオレンジジュースも。ここはシーフードだけではなくちょっとした飲み物やお菓子も売っている。
 店番の奥さんにどこに泊まっているの?と聞かれた。
 「ミッションビーチ」とパパ。
 ケアンズ市内ではオージーの次ぐらいに珍しくない日本人も、カードウェルの鄙びたシーフードショップでは珍しい存在なのかもしれない。

 カードウェルからタリーまでの道は何度も何度も踏切を横切る。
 さとうきびを運ぶ季節列車のための線路で、左右の畑の荷を積めるよう蛇行しながら続いているらしい。
 今は刈り取りの季節ではないけど、シーズンにはさとうきびをどっさり積んだ貨物列車がごとごと動いているんだろうか。
 太陽はすっかり傾き、まもなく地平線に沈みそうだ。
 夕方の白い月がだんだん明るさを増してくる。
 道沿いのユーカリが夕日を浴びて赤く染まった。
 今日もとてもいい天気だった。
 今回のケアンズ旅行は本当に天候に恵まれている。



 夕食は今日買ってきたエビを焼いた。
 食事中、子どもたちが気になるものと言えば天井に住み着いている奴ら。
 一匹は部屋の隅のブラインドの上に、もう一匹は先日蝶が逃げられなくなっていた天井近くの窓の下に隠れ家を持っている。
 こいつらは薄暗くなるとこっそりと住処を離れ天井を這い始め、小さな虫を捕食してまわる。
 動くときは目にもとまらない早さで走るのに、動かないときは石のよう。
 恐ろしく臆病で、カメラで撮影しようとしても、オートフォーカスのセンサーである赤い光が出ると、それを恐れてすぐに逃げてしまうためにいつもシャッターチャンスを逃している。
 にも関わらず鳴き声だけは大きいのだ。
 「ケッケッケッケッケッ」と甲高い声で鳴く。
 「臆病で虫だけを追いかけているゲッコーが、何であんなにでかい声で鳴くんだろう」という私に、
 「腹一杯だー、満腹だーという勝利の歌なんじゃない?」とパパ。
 いくらなんでもそれはあるまい。
 異性でも呼んでいるんだろうか。不思議だなぁ。
 とにかく子どもたちはこのちょろちょろするヤモリがいたく気に入ったようで、出たと聞くと追いかけ回し、鳴き声が聞こえたというと部屋で遊んでいても飛び出してきて探し回る。
 夜にはたまたまゲッコーの捕食シーンも見てしまった。
 止まっているときはじっとして動かず、隙を見て目にもとまらない速さで虫に近づきぱくっと食べてしまう。あっと言う間の出来事だった。


七日目「サンドフライの恐怖」に続く・・・