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鳴子温泉巡り旅

18.不思議な薬湯-ホテル瀧嶋











 時間にしたら5時を回ったところで、そろそろ空は黄昏てきた。
 雨はまだ少しだけ降っている。今日はこんな霧雨がずっと降ったり止んだりのようだ。
 国民宿舎(民営)のホテル瀧嶋は四角張った無粋な鉄筋コンクリートの建物が長年雨風に晒されて薄黒くなった感じで、先ほどのスプレーを体感していなかったらあまり気乗りがしないところだ。
 新しく綺麗な宿とはもちろん違うし、古くて正直オンボロでそれでもいい味の出ている木造宿とも違う、本当に風情のない鄙び方だったから。
 でも中に入ると優しそうな女将さんがスリッパを準備してくれた。なまじ旅館ではなくてホテルなので、どこでスリッパに履き替えて、どこに靴を置いておいたら良いか惑う。三和土の部分が無くオールフラットなので。
 とにかくスリッパの箱がある目立たない片隅に靴を置かせてもらった。

 「ホテル瀧嶋と言えば薬湯に入って頂かなくてはなりません。でももしかしたら少しお待ちいただくかも・・・何しろ貸し切り浴室ですから、先客がいたら入れないのです」
 そう言いながら屋代さんは殺風景な廊下を通り、奥の非常階段のような場所を覗き込んだ。
 そして満面の笑みで、「あななたちはラッキーだ。今なら誰もいません」と、階段の手すりに引っかけてある札をひっくり返して、使用中にした。


地の底へ降りるような狭い階段



 階段は狭く見通しが悪く途中で折れていて、何だか地の底に向かっているような妙な気がした。
 脱衣所のドアを開けると思わずむせそうになった。
 まるでサウナのドアでも間違って開けてしまったかのようだ。
 猛烈な熱気が浴室の方から流れてくる。
 浴室は何だか不思議な作りで、浴槽の縁や壁は味気ないコンクリートっぽいのに、壁の一面だけ丸っこい岩を積み上げたようになっていて、その湯面近く中央に唐突に蛇口がついている。そして岩の壁の上部がぽっかりとU字型に開いていて、その向こうにもう一部屋隠されているような感じだった。
 「あの岩の向こうで源泉が湧いています。ここは本当に源泉のすぐ隣なのです」と屋代さんが教えてくれた。
 「誰か入ってこないように念のため私がさっきの札の所で番をしていますから、どうぞ遠慮なく入ってきて下さい」
 それは申し訳ないなぁと思いながらも、もう心はさっきの天然極上化粧水である源泉に入れるかと思ってわくわくどきどきしている。
 しかし早く服を脱いでしまわないと、セーターを着たままミストサウナに入ったようなすごい有様になってしまいそう。辺りに漂っている湯気は、熱く濃厚だ。

 それでは早速と逸る心を抑えて中に入ると、何とも形容しがたい臭い。ちょっと汚水のような熟しすぎた柿のような。湯気が臭うのか浴室が臭うのかよく判らない。
 それよりも吃驚したのは浴室のちょうど大人が立って首から上ぐらいに不気味な湯気の層ができていること。
 「何これ?」
 「何だろう、まるで得体の知れないガスみたい」
 この強烈なもわもわがさっき脱衣所をミストサウナ化させた原因らしい。
 別に吸い込んでも硫化水素みたいな危険な臭いはしない。熱い水蒸気の中に首を突っ込んだみたいでただひたすら息苦しくなるだけだ。
 「こんなに濃い湯気見たことないよ、それに何でこんなにくっきり二層に別れているんだろう」という私に、くららさんは「鳴子って本当にアメージングワールドだよね」と返してきた。
 隣り合わせで白と緑の湯が湧いているだけじゃなく、隣接する多くの温泉がそれぞれ個性的な源泉を持っている。いくつか温泉郷と名の付くところを回ったことのある人なら、ここまでバリエーション豊かなお湯が狭い範囲に固まっていることがどんなに凄いことか判るだろう。
 それに丸進別館の平衡感覚が狂う浴室といい、お湯以外でも驚きが待っている。
 「判った、ここが地下だからあまり空気の移動が無くてこんなにくっきり層ができるんじゃない?」
 「でも窓があるよ。ここから外に繋がっているんじゃない?」くららさんは冷静だ。
 「今度こそ判ったぞ。下に降りた湯気はみんな窓から逃げるから、窓の高さを境に層ができるんだ」
 これは正解だった。層の境目は窓の高いところと同じ高さだ。
 「あちっ」
 上からぽたりと雫が垂れてきて、それが猛烈に熱かった。
 なんで~? 風呂場で天井から垂れる雫は冷たいと相場が決まっているものじゃない。ドリフターズの歌でもつめてぇなって言ってたじゃない。

 雫が熱かったのでお湯も相当熱いのを覚悟して入ったが、意外とそれほどでもなかった。蛇口からたらたらと源泉が出ていて、その近くに寄ると流石に表面がかなり熱い。
 そうっと岩の向こう側をのぞこうとしたが、熱湯が怖くてあまり近づけなかった。
 湯気はあの向こうから出てくるのだ。だから人が入れる温度の浴槽から立ち上る湯気なんかと比較にならないぐらい濃密で量も多い。
 おまけにこの湯気、源泉から直に作られているから天井の雫までも熱いのだ。何となく蒸留酒になった気分。
 それにしても化粧水の中にまるごと体を入れているようなこんな贅沢を味わって良いのだろうか。
 ぐんぐん皮膚が源泉を吸収していくような気がする。お湯そのものは湯気と違ってさほど臭わず僅かに油っぽい臭いを感じる程度だった。
 湯上がりはもっちり。何だか一皮むけたみたいだ。
 浴室全体の熱気と相まって、猛烈に温まりとても長湯なんてできない。
 おまけに天井からは時々雫に爆撃される。いい気持ちになっているところに予期せぬ熱湯が降ってくるのはなかなか厳しい。
 とはいえ、今日の鳴子温泉巡りで一番のお気に入りになりそうだ。



浴室上部に漂う不気味な湯気




黒く見えるが、別にお湯の色が黒いわけでは無い




浴槽の直ぐ隣、あのぽっかりと半月に開いた向こうの空間に源泉が湧いている・・・




2-19夕暮れ刻の賑わい-藤嶋旅館へ続く


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