殿様湯は地元の入浴者の方々も親切で世話焼きで話好きで、もうおしゃべりしているだけで一日終わりそうだった。
先客の地元の方によると、昭和30年代ぐらいまでは、ここは一般庶民はおいそれと入れる湯では無かった(既に一般開放されていたにも関わらず)とのこと。
また脱衣所で会った別の地元の方によると、殿様が入っていたのは庭の跡地だから。ここはそんな立派なもんじゃなくて腰元入浴用のお風呂ね、とのこと。
浴槽は二つで、高いところに小さ目の楕円形の槽があり、隣接して角を丸めた長方形の浴槽がある。
この楕円形の槽からあふれる湯が床を流れていて、ここを踏むとあまりの熱さに飛び上がりそうになる。
全部が熱いのかと思ったが、長方形の方は適温。
熱い方から湯中の穴を通って、あるいは上からあふれた分が長方形の方に流れ込むようになっていて、それでもぬるいと思う場合は、熱い方から桶ですくって足して入る作法だった。
群青色の水彩絵の具を薄めたような僅かな濁りがある綺麗なお湯。
肌触りは海水のようなぺとつきがあり、においはほとんど感知できない。
ゆるゆるとまとわりつくようなお湯で、すぐにあたたまってくる。
うっかり浴槽の中の段に腰を掛けると温泉の析出物でとげとげしていて、思わず「あいたっ」と腰を浮かせてしまう。
地元の方曰く、指宿は鹿児島市内よりずっと温暖でいい。でもたまに桜島の灰が飛んでくると。
東京から来たと知ると、知覧の特攻記念館や山川の砂蒸し風呂に行くことを勧めてくれた。
でも砂蒸し風呂は何度も行くもんじゃない飽きるよ、とも言っていた。客人が来たら一度は連れて行って、写真を撮ってあげたりするけど、地元の人がよく行く場所じゃないね。やっぱりここの温泉だよ。私はこの温泉に入り出してから一度も風邪をひかなくなったって。
確かにそうなのかもしれない。
昔の窓は木の枠で、桜島が噴火するたびにドーンバリバリって揺れてね・・なんて話を聞くと、鹿児島だなぁと思う。桜島が常にすぐ近くにある鹿児島らしいエピソードだと思う。
でもってここの印象はやっぱり楕円の浴槽の横に取り付けられた丸に十字の島津藩の家紋。
お殿様の紋章だ。
なお、殿様湯の庭というか、外側に本来の殿様湯跡がある。
天保2年に島津藩主の温泉行館として建てられ、当時の浴場は石畳で作られ、四つの湯壺を回して適温まで冷ますという方法が取られていたと石碑に刻まれている。
また、腰元衆の浴室の裏には「足軽以下、是より内に入る可からず」と彫刻した注意書きが残っているとも記載されており、先ほど脱衣所で伺った話はここから来たものと思われた。