5.ここは湯治場、日進館
日進館というのは、万座温泉ホテルの旧館にある湯小屋を指している。万座温泉ホテルのお風呂といえば、館内の長寿の湯、日進館、
露天風呂の極楽湯の三種類をさしていて、長寿の湯や日進館の中にもそれぞれ種類の違うお風呂がいくつかある。
日進館の苦湯というのが最も濃厚でよく効くと有名だったが、二年ほど前の水害でつぶれてしまったと聞いている。今、日進館に何が残っているのかもよく判らないまま、長い長い階段を私は降りていった。
階段は途中で向きを変え、更に続いた。周りを囲ってあるので寒くは無い。この中で越冬を決めた天道虫が張り付いていたりする。下り切ってドアを開けると、いかにも湯治場的な廊下に出た。ちょうど清掃中で、係りの人が廊下に掃除機をかけていた。
廊下の突き当たりを表示にしたがって曲がると、殺風景なドアがある。「日進館(鉄湯・ラジウム湯)はこの先」と書かれているところを見ると、今、日進館で入ることができるのは、この二つらしいと判る。
ドアを出るといきなり外だった。左手を見上げると、極楽湯が見える。ということはあそこから降りてきたのだ。
右手には古そうな建物が並んでいて、一番奥に至る道しか除雪されていない。奥の建物が日進館だった。
男女別に暖簾が下がっている。脱衣籠が既に5、6個埋まっているので、かなり先客がいるようだ。
中は浴槽もその周りも全て木作りの浴室で、冬のスキーリゾートだから若い入浴客が多いだろうと思っていたところが、まるで違った。
みんな湯治客だったのである。それも筋金入りの万座温泉ホテルファンばかりらしい。
私が入って行くと、どこのお風呂から回ってきたの?から始まって、いきなり賑やかな万座談義になる。
--極楽湯にはもう入った?
--最後に長寿の湯に入るのがいいのよ。洗い場があるのはあそこだけだから、あそこでタオルを洗っておくと、臭いがつかなくていいわよ。
--お気に入りはどこかしら?
「苦湯というのが一番良いと聞いたのですが」
--前はこの日進館にあったのよ。熱くて濃くて引き湯の距離も近くて良かったんだけど、三年くらい前かしら、鉄砲水でつぶれちゃってね。
--本館の長寿の湯に名前だけ残してるけど、あれは全然違うわ、良くないもの。
--丸二年は過ぎたわね
--本館の苦湯は前と同じ苦湯らしいけど、でも今は薄めちゃって駄目よ。前はもっと熱かったし差し湯もできなかったからとても長くは入れなかったけど。
--薄めても、元々が濃いから仕方ないんじゃないの?
--今は…本館なら姥湯、あとは極楽湯が濃いわねぇ。
ところでその日の女湯は鉄湯の方だった。周りの湯治客の方に伺うと、ラジウム湯と日替わり交代なのだそうだ。ラジウム湯も以前は男女別にあったが、苦湯がつぶれた時にひとつつぶれて、今はひとつしかないのだそうだ。
鉄湯は不思議とマイルドな肌辺りだった。あまり熱さは感じない。肌が硫黄泉のすべすべというより、もっとぬるつく感じに近い。白濁は細かく均一で白い粉を入れてかき回したようだ。味は苦味が強い。