子連れ家族のための温泉ポイント
- 温度★★☆☆☆ 泉質★★★★☆
- 設備★★☆☆☆ 雰囲気★★★☆☆
子連れ家族のための温泉ポイント
城下町上山に建つ春雨庵は、藩主(上山城主)土岐頼行が京都大徳寺の名僧 沢庵禅師のために建てた仮住まいの庵で、沢庵禅師は元和法度や紫衣事件に抗議したことからこの地に配流となり三年間を春雨庵で過ごした。
そして沢庵の名でわかるように、漬物の沢庵の名づけもそれであり、春雨庵は沢庵漬け名称発祥の地でもある。
七つあるかみのやま温泉の外湯の中でも中心的存在なのが沢庵禅師も入浴したと伝えられる下大湯だ。
半分道に迷いながら新丁共同浴場鶴の湯を出て、その日5つ目になる外湯 下大湯を探していた。
大通りの車の往来は多い。歩いている人は見かけない。
道なりにちょっと蛇行した後、右に曲がる道を発見。ここを入れば下大湯があるはずだ。
今度はすぐに見つかった。
曲がってすぐに暗くなった空にライトアップされた上山城が浮かび上がって見えて、その斜め向かいに下大湯が建っていた。
今日入ってきた外湯の中では大きい。通りに面した壁に「下大湯共同浴場」と書かれていて、入り口は違う面。
入り口側の壁はガラスが多く使われていて、でもまったく洋風ではなく和風で時代めいたお風呂屋さんの雰囲気をよく出しており、数ある外湯の中でも最も古く観光客に知られたお風呂であることをうかがわせた。
紺の暖簾は「ゆ」と書かれた真ん中だけ持ち上げて上に挟んであり、ガラガラと引き戸を開けて中に入れば他の外湯より広々とした下足場で明るい。でも下駄箱や券売機は変わらない。
浴室はやっぱり湯気が凄くて、中がよく見えないくらい。
入って驚くのは浴槽の広さ。とても大勢が入れる巨大風呂というわけではないけれど、浴室の大半を浴槽が占めているという設計には驚かされた。
大勢入浴客がいる。でも観光客らしい人はおらず、やはりほとんどが地元の人のようだ。ほぼ全員がお風呂の方を向いて座っている。体を洗っている人もいれば、単に湯船の縁に座って休んでいる人もいる。
とにかく浴室に浴槽以外のスペースが少ないので、どうしてもそういう配置になる。
観光客の姿が見えないのは、ちょうど年末直前、帰省客も戻ってくる少し前だし時期的には穴場なのだと思う。
浴槽の奥の方が広い範囲に浅くなっていて数人が並んで寝湯できそう。
お風呂に入ると、お風呂の壁に描かれた絵が気になった。
他の外湯ではシンプルなタイル張りばかりだったが、ここはいわゆる銭湯的なペンキ絵が描かれていて、左側が上山城と満開の桜と鎧兜、右側が富士山と駿河湾とヨットの図だ。
入ってから気が付いたが、髪を洗っている女性のたらいに「洗髪札」と大きく書かれた札が立ててあった。
かみのやま温泉の外湯では、どこも洗髪は別料金だ。
料金を払って初めてシャワー用のコックを貸してもらえるところもある。
洗髪札の貸し借りはやめましょうとの張り紙も見た。
温泉の湯は溢れるほどにあっても、むしろ水道水は高くつくのかもしれない。なんせ入浴料はありがたいことにたったの150円だからね。
湯口は二段構えになっていて、上下から出ている。
バケツのような物をもって近づいてきたおばさんが、上の口を押えて、下からだけお湯を汲んでいた。
ということは下から出ている方が温泉で、上は温度調節用の水道水か。
水道水を抑えた時にバシャーッと水しぶきが上がった。
「ごめんなさいねぇ」
飛沫を浴びた人はおらず、一番近くにいた私も大丈夫ですよと返した。
おばさんがバケツを持って下がった後で湯口に近づいてみた。
上から出ているものも冷たくは無かったがかなりぬるかった。下は触れないほどではないが熱かった。
昼間訪ねた春雨庵はぽつぽつ住宅のある裏通りに溶け込んで建つ小さな寺のように見えた。
入り口には県指定史跡 春雨庵跡の石碑が建つ。今ある建物は再建されたもののようだ。
今は庵の周囲の景色も当時とは随分と変わってしまったため、なかなか当時の面影を偲ぶのは難しい。
中は自由に見学してくださいと書かれていたので少し歩いてみた。
溶けた雪でぬかるんだ庵は
誰もいなかった。