子連れ家族のための温泉ポイント
- 温度★★★★☆ 泉質★★★★☆ 滑りやすい泉質なので注意
- 設備★★★★☆ 雰囲気★★★☆☆
子連れ家族のための温泉ポイント
鹿児島はこれまでの道程、渋滞も無くて思ったよりどこに移動するにも時間が掛からない印象だったが、この紫尾から湯川内までは思いのほか遠かった。
というか、鹿児島県の西側って高速道路も無いし結構移動に時間が掛かる。何だかひたすら走っているような気がする。
鹿児島と言えど冬の日は短く、なんとなく陽の光は陰りを帯びて、影が長くなってきた。
湯川内までの最後の道は細い山道。
霧島方面以上にこの辺りの方が秘湯然としている。
湯川内温泉の宿はかじか荘一軒のみ。
すれ違うのもやっとみたいな細い道の先に、いかにも山の湯治場風の建物が建っていた。
駐車場は小さな橋を渡ったところ。そこから建物を見上げると瓦屋根の古い木造校舎みたいに見える。
山の中だが車は数台停まっていた。
午後3時過ぎ。ゆっくりしている時間は無い。
受付で初めてか、リピーターか問われた後に、どこから来たのと聞かれて東京と答え、続けてどうしてここを知ったのかと聞かれたので、友人が連泊してすごく良かったからぜひと言うので来たと答えると、女将さんはめっちゃくちゃ嬉しそうだった。
「そうなの、ここは本当にいい温泉なのよ。足元からお湯が湧いているの、でもね、ごめんなさい、男湯は沢山プクプク湧いているけど女湯の方は少しだけなの」
そして丁寧に二ヶ所の浴室に案内してくれた。
下の湯と、階段を昇った上の湯。どちらも独立した湯小屋になっている。
脱衣所にストーブがあるのは下だけだけど、時間があったらぜひ上も入ってみてねと勧められる。
で、まずは下の湯をのぞくと一名入浴中。
ならば上からと上をのぞきに行くと、こちらも下駄箱に四人分のブーツやスニーカー。
しょうがない。やっぱり下からにしよう。
下の湯は脱衣所と浴室がほぼ繋がっているが、半透明のトタンみたいなもので半分ほど仕切られている。
そして木の浴槽がある浴室とは別に、脱衣所の横に浴槽だけの小さな部屋があり、そちらにもお湯が入っている。
女将さんによるとその小部屋は上がり湯用で熱めの湯が入れてあるとのこと。
それでもぬるければ自分で熱い湯を足して良いとの事。
説明してもらったときに足すお湯も温泉なんですか?と聞くと、蛇口から出るお湯を含めてこの宿に温泉じゃないお湯は無いのよと笑われてしまった。
さてとにかく木の浴槽のお湯に入ってみる。
縁は木で、縁の下は座るに少し深めの木の段があり、底は岩がごろごろ。ちょっと深く、しかも岩の安定感が無い。動く。足を乗せるとバランスを崩しそう。
でも底からお湯が湧いている。
浴槽の隅の方、小さな泡が弱弱しげに上がってくる。
お湯はぬるくてちょうど体温よりわずかに高いぐらい。これは入ろうと思えば何時間でも入れる湯だ。
少しゆでたまご臭がする。
ただし、強い何かを出しているお湯ではなく、ゆるゆるとまとわりつくような、でも逃れられないようなヤバ目の浴感。
すべる感じも少し有り。
下の湯で時間が経った分、もしかしたらもう空いているかもと期待したが、やっぱり上の湯の靴の数は変わらなかった。
浴室に入ると、下の湯とはちょっと違った雰囲気だけどやっぱり年季の入った四角い木の浴槽があって、この浴室に不似合いな感じのする若い女の子が四人入っていた。
ゆったり入ると四人でいっぱいぐらいの浴槽だったが、私が来るとみんな少しずつ詰めてくれた。
ここもぬるい。下よりもうちょっとぬるく、体温ジャスト位。
お湯は無色透明だが、アメーバと言うか、透明なとろろ昆布みたいな湯の花の大きいのがいくつも漂っている。
少し入っているといつの間にか体中に細かい泡がびっしりとついていた。
足元からもゆらゆらと泡が浮いてくる。
淡いゆでたまご臭。すべすべする感触。
なんだかここは時間が止まっているようだ。
そう感じたのは私だけじゃなかったみたい。女の子たちは既に30分以上ここに入っていると言っていたが、時計を見て初めて時間の経過に気付いたようだ。
そして最初はぬるいと思っていたのが、いつの間にか温まっていたと不思議そうに言った。
本当に水みたいにぬるいお湯なのに。
ところで下の湯に入っていた時、天井が繋がっているので男湯からの話し声がよく聞こえた。
饒舌な先客がいらしたようで、鹿児島でもここの湯が最上だとか、twitterはいいよとか、俳句がどうとか聞こえてきた。
あとで夫に聞いたら、相手は出水に住んでいるインターネットが趣味らしいおじいさんで、湯川内に至る道路に直線の坂道があったが、あれは戦争当時、零戦の滑走路として使われていたと教えてくれたそうだ。
零戦は70mあれば飛び立てるので、あの直線は70m超あると。
今回の旅では知覧の特攻平和会館に寄ることはできなかったけど、昨日寄った火乃神公園の戦艦大和率いる第二艦隊の撃沈海域の鎮魂碑や、みどり荘の観音堂など、太平洋戦争の記憶を留める場所がとても多い。
それは戦争が遠い昔の事ではなく、ほんの70年前の現実だったと気付かされる。