◆◇桜の古都巡り◇◆
奈良観光旅行記
6.後醍醐天皇と南朝の宮跡
伽藍の斜め前には朱塗りの鳥居の建つ小ぢんまりとした天満宮があり、右手には下る石段があった。
その石段から下を見下ろすと、真っ直ぐ伸びる石畳の道とその正面に建つ何やら風変わりな塔が見えた。
三重の塔なのだが、屋根の形が多角形で唐の時代の建物のような雰囲気だ。
塔に続く道の両側は満開の桜がわさわさと守護するように枝を伸ばしている。
あれは何だろうと思っていると、まるで心を読まれたかのように仙人のような雰囲気の老僧が近づいてきて、「あれは南朝妙法殿と言って南朝の後醍醐天皇が仮の皇居とされた吉野朝宮跡に建てられたものですよ」と教えてくれた。
えっ、南北朝時代というものがあって、後醍醐天皇は吉野に落ち延びて南朝を樹立したことは知っていたが、まさか今いるここが当時の朝廷のあった場所だとは考えたことも無かった。
北朝に対する南朝としてそれなりの勢力を従えていたイメージがあったが、こんなに山深いところに南朝の都はあったのか。
「後醍醐天皇は失意のうちにあそこで崩御されました。経文の巻物を抱いておられたそうです」
石段を下りて南朝妙法殿に近づいた。
三重の塔は一番下の階の木の戸は開かれており、もう一枚の戸はごく薄く開いていた。
その隙間からそっと中をのぞく。何だか中を見ていいのか悪いのか判らず、隙間からのぞくという行為が後ろめたいような気がする。
すると先ほどの仙人のような僧が近づいてきて、どうぞ中を開けてみてくださいと言うのでそっと戸を開けた。
やはりじっと見るのも申し訳ないような気がして一瞬だったが、暗い中にきらきらとした仏様の像が見えた。
「ご覧になりましたか?」
「はい」
そうですか、良かったですと言うように僧はにこりと笑って立ち去ってしまった。
やっぱり仙人みたいだ。
自分は学生時代に習った科目の中では歴史が好きで、あえて言うなら義務教育の授業で習う日本史では戦後に次いで室町時代というのは影が薄いけれども、当時の吉野にはもう一つの朝廷があった、真言宗がこの地に一大仏教勢力を築いておりそれを頼って落ち延びた後醍醐天皇が必ずや京都を奪回するとここで誓った、その場所に今立っている。
思えば吉野という山は後醍醐天皇から遡り、昨日陵に参った天武天皇も、兄の天智天皇の死後、謀反を疑われ吉野に雌伏している。
朝廷が分裂するとき、落ち延びる場所、引き寄せられる場所に吉野がある。
山岳信仰の地、吉野山が。