35.夜の新湯の出来事
といってもすずめの湯にはたいそう感激したので、部屋に戻ったら早速パパに報告。
ここに来たなら絶対すずめの湯に入らないと、だよ。
私が力説するのでパパも腰を上げて入りに行った。そしてやっぱり最高だったとほくほくしていた。
特にあつ湯が気に入ったそうだ。あの温度にゆっくり入れるのは凄いな。
そんなわけでパパは、すずめの湯に満足して寝てしまったが、私はもう一湯行きたい。だいたい昼間から沢山お風呂に入ってはいるけれど、まだ髪を洗ってない。どこのお風呂にしよう。
選んだのは一番遠い新湯。
ここは夕方入った元湯やさっき入ったすずめの湯とは源泉が違う。明日はバタバタして入る暇がないかもしれないし、夜のうちに行って来よう。
少し急いだのにはわけがある。
地獄温泉清風荘のお風呂は、湯治場としては珍しく、深夜12時を過ぎると朝まで入れないのだ(家族風呂を除いて)。
新湯への行き方は昼間一度下見をしているからわかっている。
しかしいくら建物の周囲は灯りがあるとは言っても、山の中の一軒宿で10時を回っての移動は少し怖いものがある。特に新湯への道はひと気もあまり無いし。
本当に下見をしておいて良かったと思った。
一度来ていなければ、敷地内とは言えどのくらい離れているかわからず不安になって引き返したと思う。
ぼんやりとところどころ灯りの灯る夜道を歩いてようやく新湯前まで着いた。
ところが・・・
ガタガタッ
「あれ?」
ガタガタガタッ
「あれれ?」
ドアが開かない。木の引き戸がいくら引っ張っても開かない。
施錠されているのかな。
まだ閉める時間じゃないのに。なんで?
あたりをきょろきょろ見回すが、相変わらずひと気が無い。誰も周囲にはいない。乗用車が停めてある隣の民家らしい建物も人の気配はない。
何だか泣きたくなってきた。
こんなに怖い思いをしてわざわざ離れた新湯まで一人で歩いてきたのに。
でもどうしてよいのかわからなかったので、部屋まで戻ろうと新湯を離れかけた。
その時声が聞こえたような気がした。誰かが呼んでいるような、でも聞き取れなかった。辺りを見ても誰もいない。
何を考えたのか私はもう一度新湯のドアの前まで来た。
さっき何度もガタガタやってみて開かなかったドアだけど、最後にもう一度引っ張ってみようと。