◆◇桜の古都巡り◇◆
京都観光旅行記
客殿の縁側に出て驚く。
いきなり目に飛び込んできたのはひとつの小さな世界のように整って閉じた庭園。
池泉観賞式庭園の聚碧園だ。苔むした岩やこんもりと丸く刈り取られた植木が調和して池の周囲を飾っている。
ちょうど正面から歩いてきた女性参拝客も目を見張ってカメラを構えていた。
宸殿に続く渡り廊下からは白梅。
桜ほどの主張は無いが凛とした梅もまた素晴らしい。
宸殿は御所の紫宸殿を模して造られた。紫宸殿というのは天皇の儀式に使われる正殿だ。
元々大原という土地は、仏典にメロディーをつけてうたう声明という仏教音楽の道場があった地だった。
浄土信仰の聖地でもあったようだ。
その大原で三千院の歴史が始まるのは延暦700年代の後半で、日本の仏教史上最も有名ではないかと思われる最澄と空海のうち一人、伝教大師最澄上人がかの比叡山延暦寺を建立した際に大原に庵を構えた。
よって三千院は天台宗の寺院であり、奈良時代終わりごろからの歴史を持つが、一方大原で三千院という名を使い始めたのは明治時代になってからであった。天台宗の三千院なる寺は比叡山から始まり各地を移転し、元々円融房と呼ばれていたここに明治4年三千院が取り込まれ、以降三千院、または三千院門跡と呼ばれるようになった。
気が付くと周囲にとても人が増えていた。
三千院に入ったばかりの時間帯はほとんどひと気が無かったのに、大型観光バスでも着いたのか、年配の人を中心にかなりの賑わい。
そう、大原は京都の他の神社仏閣に比べて年齢層が高かったように思う。
もちろん若い人もいるんだけど、平均年齢が高く、また日本人比率も高かった。
逆に言えばそれだけ金閣銀閣清水寺などは若い観光客、外国人観光客が多いということを表しているのかもしれない。