◆◇桜の古都巡り◇◆
京都観光旅行記
拝観料を払ったら、早速石段を登って仁王門をくぐる。
潜って振り返ればまた息をのむ。
ここからは京の街が一望。
いつこんなに高く登ってきたのかと思うほど、下界の灯りが星の粒のようにきらめいている。
清水寺は北法相宗大本山の寺院だが、北法相宗が法相宗から分かれたのは昭和40年のことというのでかなり最近だ。
世界遺産の一つであり、観音霊場としても知られているが、清水寺を最も有名にしているのはことわざにある清水の舞台だろう。
清水の舞台をはじめ清水寺の建築物の多くは江戸時代に建築あるいは再建されたものだが、清水寺そのものは奈良時代からの歴史があり、つまるところ京都にありながら京都が千年の都であったよりももっと以前に始まる古い寺である。
奈良興福寺の僧 賢心(延鎮上人)が夢のお告げで音羽山麓の滝にたどり着き、ここで修行していた行叡居士と出会い、この地で観音を守るよう仰せつかり、これが清水寺創生の言い伝えとなる。
その2年後には蝦夷征伐を行い征夷大将軍となったことで知られる坂上田村麻呂が妻の安産を願うための鹿狩りで清水寺を訪れ、賢心と出会い殺生を諭され、仏教に帰依したのちに十一面千手観世音菩薩を本尊として安置した。
平安時代の文学作品にも清水寺は数多く登場する。
源氏物語、枕草子、今昔物語集・・・。
江戸時代に流行った歌舞伎の演目のひとつ清玄桜姫物も、清水寺の僧が高貴な桜姫に懸想し、殺されたのちも幽霊となってストーカーするという内容となっている。
まあそのくらいメジャーな寺院だったということだろう。
誰でも聞けば「ああ」と思うような。