◆◇桜の古都巡り◇◆
京都観光旅行記
バス停を降りてから七条を西へ歩くとすぐに右手に甘春堂の本社が見えてきた。
本社ではなく本店というのも鴨川沿いにあるらしいので紛らわしいが、本社建物は思っていたより小さく、でもかわいらしさがありながら老舗らしいデザインの店舗になっていた。
ちょうど開店するところらしく、店員の女性が暖簾を掲げるところだった。
しかし、和菓子作り体験をするのはこの本社ではなく、本社の手前の道を豊国神社方面へ進んだ先にある。
この道は大和大路通という名称で、先ほどの甘春堂本社の手前から、道沿いの右側は三十三間堂、京都国立博物館、豊国神社、方広寺と名所が連なっている。
こうして歩いている今は右側は京都国立博物館の敷地があるはずだが、ちょうど今年は建て替え工事を行うようで、大和大路通に面した入口は閉鎖されており大型工事車両が出入りする口の他は、目隠しパネルが続いていた。
パネルの奥にはイスラムかロシア正教などを髣髴とさせる丸い屋根が複数見えていて、何となく日本の古都のイメージとは違う建物なんだなという印象を受けた。
京都国立博物館工事パネルが終わると道幅が広くなり豊国神社が見えてくる。
豊国神社とは全国あちこちにあるようだが、豊臣秀吉を祀った神社。
石の鳥居の両側の桜が見事だ。
また豊国神社の斜め向かいに人工の小さな丘━塚のようなものがあって、そのてっぺんに梵字の刻まれたおでんのような石が乗っている。
何だろうこれと思って帰宅してから調べたら、これは五輪塔の一種で耳塚と呼ばれている史跡であると判った。
耳塚とはまた穏やかでない名称だが、その内容もやはり穏やかでないと言えば穏やかでない。
豊臣秀吉の行った朝鮮出兵の際に戦功の証(数の証明)として討ち取った相手の耳や鼻を切って持ち帰ったものを供養した塔だった。
それを知った時はげっと思ったが、よくよく考えると生きている兵士から切り取ったわけではないわけで、その時代の戦闘の結果であれば国内外を問わず有りうることかもしれない。
とはいえ悲しい歴史であることは確かで、冥福を祈りたい。
さて、耳塚を過ぎればすぐに甘春堂東店。
先ほど見た本社より少し大きな建物か、白壁、瓦屋根に紺の暖簾を提げた外観はそのまま時代劇に出てきても違和感は無い。
時刻は9時3分でほぼ予定通り。
市バスの博物館・三十三間堂前停留所からゆっくり歩いて10分ほどだった。
上 豊国神社、左下 耳塚、右下 見かけた和風のカフェ