1.北野と有馬温泉と六甲山の夜景
夏休みはパパ+長女、ママ(私)+次女の組み合わせで旅行に出かけることになった。
これまでにパパ+長女、パパ+次女、ママ+長女+次女という組み合わせはあったが、ママが娘のうち一人だけと一緒に出掛けるプランは初めてだ。
行き先も勝手にパパがチョイスしていた。
「レナ(次女)と台湾に行っておいで」
「は?」
「テレビで台湾はスイーツ王国だって紹介していたんだよ。レナは甘いものが大好きじゃん?」
「え」
いや、台湾は行ってみたかった。とても行ってみたかった。でもレナと二人とかプレッシャーしかない。
あいつはプランニングにまったく協力的でないし、出不精で面倒くさがりだし、あり得ないほどの方向音痴で、おまけに道に迷う天才だ。
しかも国内旅行ならどうとでもなるが、言語に不安な海外で、初めて訪れる国・・・。
無理だ、どう考えても荷が重い。
結局ぎりぎりになって方向転換した。国内にしよう。パスポートも切れて久しい。台湾に行くならまた来年。
朝、7時前に東京を発つのぞみに乗っている。
前日の東京は大嵐。気象予報図にも三つの台風が独楽のように回っている。交通網も乱れに乱れ、テレビに映った新宿駅では、ヘルメット姿のキャスターが状況を報告している横を、役に立たない傘を畳み意を決して横殴りの雨の中に飛び出していくスーツ姿のサラリーマンや制服姿の学生が映っていた。シュールだ。
今朝も特に晴れてはいなかったが、これから向かう関西地方は滞在中晴れる予報。といっても台風の進路のこともあり、毎日予報はめまぐるしく変わり、この三日間が晴れ予報に変わったのも昨夜ぐらいからだった。
ちなみにこの時ふらふらと関東沿岸から太平洋を西に向かうという変則的な進路を取った台風10号は、後に沖縄の海で巨大成長を遂げてUターンし、日本列島に大きな打撃を与えた。
東京を出発した新幹線はがらがらだったが、品川、新横浜と停車するごとに混んできていつの間にか車両はほぼ満席。首都圏からの乗客は京都、大阪でほぼ降りてしまったが、入れ替わりにさらに西へと向かう新たな客が次々と席を埋めていった。
新神戸駅に着いたのは9時半過ぎ。どうせコインロッカーを探す時間も必要だろうし、最初に行こうと思っている異人館は9時から開いているところが多いので早すぎない。
かなりぎりぎりになってから計画を詰めたので、今日の行動は新幹線の中で最終決定した。
自分は神戸観光は二度目。レナはもちろん初めて。
前に観光に来たのはもう20年ぐらい前で、女3人組で異人館のうろこの家や三宮の商店街などを回った。宿泊は大阪だったので、実質的に滞在したのは半日ぐらいだったように思う。
その後仕事で神戸を訪れたことはあるが、観光はしていない。相手の会社の人が夜に車で六甲山に連れてきてくれたが、美味しいステーキを食べたことは覚えているが店の名前などは覚えていない。曇っていたので景色も見えなかった。それどころか湿度が高すぎて、腕時計のガラスの内側が結露してダメになってしまった。
そんな調子だから、今回の神戸旅行も初心者コースになると思う。しかも車無し、方向音痴で出不精の次女と二人だから、機動力もまったく期待できない。
本日のプランだが、まず新幹線が着くのが新神戸なので、神戸の中心地である三宮まで地下鉄で移動してしまわず、そのまま新神戸周辺を観光しようと思う。
理由の一つは、今日の宿泊地が有馬温泉なので、荷物を新神戸駅のコインロッカーに入れて観光した方が合理的だと考えたからだ。三宮、元町、南京町、メリケンパーク、ハーバーランドなどは、行くとしたら明日、明後日にしよう。
前述したように異人館の一部は昔行ったことがあるが、異人館自体はたくさんあるしレナは初めてだから、ここを神戸の最初の観光名所として選ぶのは適切だろう。
その後は昼ごろに有馬温泉に移動して、
太閤の湯という日帰り温泉に行ってみようと考えていた。
神戸駅ではまずコインロッカーを探した。できれば新幹線側じゃなくて、次に移動する先の北神急行電鉄側がいい。とにかく北神急行の改札の方へ移動して、改札横の売店でコインロッカーの場所を聞くと売店の裏側だった。
ロッカーに空きはあるが、財布に小銭が無かった。仕方なく荷物をロッカーに入れて、レナに見張り番をさせてお札を崩しに行く。さっきロッカーの場所を教えてもらった売店は両替を受け付けていない。改札も両替不可と貼紙があった。・・・しょうがない。有馬温泉行の切符を先に買って小銭を作るしかないか。
ところで、買うつもりの切符は普通の乗車券ではなくて、有馬温泉太閤の湯のクーポン切符の予定だった。太閤の湯は入浴料が大人一人2,400円(平日料金)と私からするとめちゃ高いが、乗車券がセットになったチケットを買うとやけにお得なのだ。神鉄沿線から乗ると往復の乗車券付きで2,320円と普通に温泉に入ったより安くなる。
ここは神鉄沿線じゃないけれど、確か新神戸駅でもその線に合わせたクーポン切符が買えるはずだからきっと安いはず。有馬温泉宿泊だから電車の乗車券としては片道しか使えないけど、それでも安いはず。さらに有馬温泉の土産物屋やロープウェイの乗車券も割引になるから、買って損はないはず。
やたらと文章に「はず」がついているのは、新神戸から有馬方面に行くのに便利な北神急行電鉄がこの有馬温泉太閤の湯のクーポン切符でどういう扱いになっているか、事前に調べてもいまいちよく判らなかったからだ。
クーポン券のちらしには、神鉄沿線、山陽沿線、阪急沿線、能勢沿線、阪神沿線、神戸市営地下鉄沿線、神戸高速沿線それぞれから利用した場合の料金が明記されているが、北神急行の駅から利用した場合、どれに当るのかわからない。まさかと思うけど、クーポン券を利用した場合、新神戸から北神急行が使えず神戸市営地下鉄経由とか遠回りして乗らないと無効になるの?とか思うじゃない。地元の人ならすぐにわかるパズルでも、東京から来たらどれがどれやらさっぱりわからないんだもの。
だいたい、どの鉄道にも神戸の「神」の字が入っていて、もう見ているだけでどれがどれだか判別つかなくなってきた。
とりあえず改札のところにある窓口で聞く。
「有馬温泉太閤の湯クーポンは買えますか?」
駅員はちょっと引っ込んで確認してきてから買えますよと返答した。
「そのクーポンで北神急行は乗れるんですよね?」
「はい使えます」
「大人二人分お願いします」
とりあえずこれで午後の移動のチケットと、コインロッカー用の小銭ができた。早速コインロッカーを施錠し、身軽になって出発。ようやく神戸観光できる。
駅の外に出るといきなり直射日光の攻撃を浴びる。
空は猛烈に晴れている。最近夫と旅行に行くと曇りばっかりなので青空が新鮮だ。
北野異人館方面への矢印があったので、何も考えずに出てすぐのエスカレーターに乗った。すると青天に突き刺さるようにそびえるANAクラウンプラザホテルに付帯した神戸オリエンタルアベニューのテラスで、はて、ここからどうやって異人館方面に行くのかといきなり途方に暮れてしまった。
清掃の人を捕まえて、異人館に行きたいと伝えると、そこから降りれば行けるとさっき来たのとは少し方角の違うエスカレーターを指差された。何だか上ったり下りたりだ。
そしてその後はひたすら歩道を歩く。既にレナが疲れ始めている。ちょっとばてるのが早すぎないか?
この道は途中に神戸北野教会が建っているほかはあまり面白味のない道だった。振り返るとやはり非現実的なほどに高いANAクラウンプラザホテルがそびえている。
10分ほど歩いて、何だか洒落た建物が増えて来たなと思ったあたりが史跡三本松のある北野異人館ブロックの端だった。目の前に笑っちゃうほど急斜面の細い道がある。これを登るの?とレナが嫌そうな顔で私を見た。
信号が青になったので道を渡って登り始めたが、すぐに右手の黄色い宝くじ売り場のボックスみたいなところから、割引チケットを買っていきませんか?と声が掛かる。
立ち止まって話を聞くと、オランダ館、オーストリアの家、デンマーク館の共通券を売っているという。
・・・ふむ。
確か北野異人館での有名どころといえば、まずうろこの家、風見鶏の家。次ぐらいに萌黄の館、そして入館料無料のラインの家あたりか。ただしラインの家は現在メンテナンスのために休館中だ。
三番手グループあたりにこのオランダ館は入っていたと思う。確かガイドブックによれば、民族衣装を着て記念写真を撮ったり、オリジナルの香水をつくることができたはず。
あっさり勧誘に乗せられた気がするが、パスポート型の共通券を購入した。オランダ館に行くのが面白そうだと思ったから。
急坂を上り、途中で石畳の小径に折れる。この辺りの道は、ガイドブックには普通に異人館巡りの主要ルートとして記載されているが、実際に歩くとその狭さにびっくりする。さらにおらんだ坂に右折して、またとてつもなく急な上り坂。
そりゃあまあ、長崎しかり、函館しかり、夜景と洋館の綺麗な港町は坂が多いというのは定番だ。それにしてもさっきの二ヶ所と比べても神戸のこの坂道は、ほとんど近所の人と猫ぐらいしか通らなそうなこの狭さと斜度。観光客がぞろぞろ歩くとは到底信じられないレベル。
でも歩いているんだな。私たちだけじゃなく、異人館巡りの観光客たちがぞろぞろと。
途中にM.AILION邸という、門に南京錠の掛かった洋館を見かけたが、そこにはお客様各位として「本家オランダ館は閉館しました。長年のご愛好、誠に感謝してをります。ありがとうございました。本家オランダ館 館主」と貼紙があった。
ということは・・・今、私たちが向かおうとしているオランダ館は、本家じゃないオランダ館なのか?
M.AILION邸を過ぎるとすぐに共通券の目的地のひとつ、ウィーン・オーストリアの家があった。このオーストリアの家の敷地を通り抜けるようにして、その先に同じく共通券の使えるデンマーク館と香りの家オランダ館があるようだ。
ウィーン・オーストリアの家の前では受付の女性がスタンバイしていた。この受付でも3館共通割引券のパスポートは買える。私たちがパスポートを見せると、押印して、ウィーン・オーストリアの家の順路を教えてくれた。まず目の前の建物の1階を見学して、その後いったん外に出て、隣の建物(繋がっている)の階段を上って2階を見学するとのこと。
建物の外観は凝ってはいるが洋館風ではなく、ちょっと古くなったパビリオン風だったのであまり期待はしなかったが、中はハプスブルグ家時代のオーストリアをイメージさせる内装で、緋色の天鵞絨のカーテンにモーツァルトの像などが展示されている。壁に飾られた大きなパネルはオーストリア国立王室公文書館の壁画の再現だそうだ。
ショーケースの中に当時の衣装も飾られていたが、マネキンに着せられたそれはどう見てもホーンテッドマンションの舞踏会で踊っていそうなあれだ。
モーツァルトの部屋の再現やチロル風の衣装や家具を見て外に出た。
2階は円形の部屋だった。鍵盤の色が白黒逆の古いピアノが中央に置かれている。受付の人がこのピアノが特に珍しいものだからぜひ見ていってくださいって言っていた。ということは、ウィーン・オーストリアの家の最大の見所がこれなのだろう。
鍵盤の色が反転しているのは、演奏者の指が美しく見える為で、モーツァルトが考案したと説明の紙が譜面台に置かれていた。
次はデンマーク館。こちらもウィーン・オーストリアの家のすぐ隣で、建物の外観も同じような感じ。これについて受付の人に伺ってみると、3館のうち、本物の異人館、すなわち当時、外国人が実際に居住していた建物はオランダ館だけで、ウィーン・オーストリアの家とデンマーク館は外国人居住地の跡地に、後日展示用の建物を建てたものなのだそうだ。道理で「家」らしくないし、異国情緒も無い建物だと思った。
なお、ウィーン・オーストリアの家は旧W.クンツェ邸跡地に、デンマーク館は旧ヨハン・フラウベルト邸跡地に建てられている。両方とも異人館ではなく、一応テーマ館というくくりのようだ。
ウィーン・オーストリア館と比較しても、デンマーク館の内部はさらに洋館っぽくなかった。まさにデンマークの旅行広報展示室といった雰囲気。こちらも円柱形の建物で、中央にドーンと大きな、でもおもちゃみたいなバイキング船がつりさげられている。実物のハーフサイズに作られているそうだ。
おもちゃみたいに見えるのは、バイキングのぬいぐるみを乗っけているからだろう。ウィーン・オーストリアの家がホーンテッドマンションなら、デンマーク館はイッツアスモールワールドとかシンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジだ。
レナがバイキングって言えば角の付いたヘルメットでしょと言ったが、それもちゃんと展示されていた。デンマークの紹介映像を流す小部屋もあって、少し休もうと椅子に座ったが、座った途端に足が連続してつっちゃってまいった。
デンマーク館には他にもムーミンやアンデルセンのコーナーがあり、人魚姫の銅像も飾られていた。
最後のオランダ館は隣接しているが少し坂を下ったところにある。
ようやく洋館らしい雰囲気の建物にやってきた。レンガの門にはI.WOLHINと元の持ち主の銘鈑が貼られている。
白い壁、オレンジの瓦、真っ青に塗られた窓枠などが雰囲気を出していた。
オランダ館の受付はベテランらしいおばちゃんだった。このおばちゃんが言うには「築100年のオランダ館の建物は阪神大震災でびくともしなかった」って。
「えっ、じゃあ、うろこの家とか風見鶏の家とか」
「みんなほとんど全半壊。ここは震災前から建っていてそのまま残っている数少ない異人館」
さらに教えてくれたのは、うろこの家など多くの異人館は集合住宅だったけど、オランダ館は個人宅だったことや、何故こんな不便な急坂の上に建っているのかというと、当時、海側から、外国人居留地、日本人の街、そしてこの辺りがまた外国人居留地とエリアが分かれていて、この辺の洋館に住んでいた人たちは馬や車で移動するから坂道でも不便は無かったとなど。異人館に住んでいた外国人が庶民とは違う生活をしていたってことでありますね。
オランダ館は入り口でスリッパに履き替える。
オランダ館の特徴は、オリジナル香水をつくることができる(3,350円)ことと、オランダの民族衣装の着用体験ができること(2,700円)。1階に香水の調合室がある。今は誰もお客さんがいなくて、調合師の女性が一人で作業していた。
先に1階をぐるりと見て回った。館内の風格がさっきのウィーン・オーストリアの家やデンマーク館と全然違う。京都世界歴史都市博に出展されたミニチュア風車や、200年近く前の足踏み自動演奏ピアノなどが部屋に置かれている。
キッチンもあってホーローのツールなど並ぶそこはドールハウスのおもちゃみたいだった。
ショップもあって、そこに並べられた香水を手に取ったら、中高生は半額でオリジナル香水が作れるのでいかがですか?と誘われた。チラッとレナを見る。レナは面倒くさいなと思ったようだが、ママがやってほしいならやってもいいよという態度。
せっかくだから体験してもらおうか。
ショップの隣の調合室に移動して、まず何本かの小瓶の香りを嗅ぐ。その中で一番気に入ったものと、一番苦手なものを選ぶ。
それから「香りのアンケート」なるシートに自分の好みを反映させていく。どの質問も選択式になっていて、あなたの好きな音楽は何かとか、好きな服装は何かとか。
全部記載が終わると提出して、後は調合に少し時間が掛かるという。その間に私たちは2階を見てくることにした。
2階はベッドルーム。何故かベッドの上に純白のウェディングドレスが広げてあったり、広げたスーツケースの中に紙幣やコインを散らばらせてあったりと飾っている感が半端ない。家主であった元領事の仕事場や、猫足バスタブのバスルームやメイドの寝室もある。
2階を見学して階下に降りると香水が完成していた。匂い紙の先にちょっとだけ垂らして、それをひらひらと鼻先で揺らしてレナが香りを確認する。爽やかさのあるフローラルな香り。この調合データはオランダ館で管理されて、もし使い切っても同じものをまた注文することができるのだそうだ。
オランダ館を見学し終えてちょうど正午。本当はお昼を食べたら有馬温泉に向かおうと思っていたので異人館はオランダ館で終わりにするつもりだったが、受付のさっきのおばちゃんに、風見鶏の館や萌黄の館は中高生無料だよと聞いて、気が変わっていた。どうせならそっちも寄っていくか。
オランダ館から風見鶏の館はそう遠くない。昔女友達と三人で来た時はうろこの家は覚えているが、風見鶏の館は行ったような行っていないような曖昧な記憶しかない。
坂を少し下って石畳の小径を進むと風見鶏の館と萌黄の館と北野天満神社の揃う北野町広場の辺りはえらく観光地らしい雰囲気を醸し出していた。観光客も大勢歩いている。今まで通ってきた道がいかにも裏通りだったような感じだ。
風見鶏の館はドイツの貿易商トーマス氏の邸宅だった。美しいレンガ組みの建物で、屋根の先端に館名になっている風見鶏が載っている。
ここで説明してくれた職員の方によると、やはり阪神大震災でいったんほぼ倒壊してしまったそうだ。レンガは意外と揺れに弱いという。重量もあるし、日本の木造建築のようにずれないようにがっちり組んであるわけでもないだろうから、さもありなん。
しかし大変だったのはその後で、再建すると決めたものの文化財であるから建築材料には当時のものを使わなければならないということで、倒壊したレンガを全て再利用したそうだ。ただし、綺麗な面を出すために裏表を逆に使用し、耐震性を高めるために中に穴をあけて鉄筋を通すなどの作業が必要となった。
そもそもこれら公開異人館の建物の多くは、観光名所として人気が出る前に取り壊しの危機を迎えていた。建てたのは外国人でも、その後彼らが帰国していった後に日本人の所有となり、住みやすいようにあちこち手を入れて改装し、和洋折衷となった。そして老朽化し、多くはそのまま取り壊された。たまたまそれを免れたのがこの風見鶏の館であったり、その他の公開異人館となった建物群だ。
「まさかこんなに人気が出るとは当時は思いませんでしたからねぇ」と年配の職員は苦笑していた。中でも風見鶏の館が当時の姿をそのまま残しているのは、邸内で撮影された多くの写真が残っていたからだった(写真は現在も各部屋に展示してある)。それらの写真を元に、いったん日本人がリフォームした箇所も、昔の姿に復元したのだ。
特に見所なのは書斎。
この館を建てたトーマス氏の娘であり幼少時にここで過ごしたエルゼ・カルボー夫人がこの館が現存することを知り、当時の家具と思われる調度品一式を寄贈してくれたのだ。その家具は書斎に展示されている。他の部屋の家具に比べれば小さいなテーブルと一脚だけの椅子だが、びっしりと東洋風の彫刻の施されたその一式は、まさに本物であり、この館にトーマス一家が暮らしていた頃を知っているのだった。
風見鶏の館の規模はオランダ館よりかなり大きい。とても空間を贅沢に使った洋館で、窓からの眺めも素晴らしい。
しかしこうした異人館を維持していくのにはとてつもない予算が必要で、今多くの異人館はレストランやショップなどの形で何とか維持費を捻出しているのだそうだ。
ちなみに風見鶏の館と現在メンテナンス中のラインの家は神戸市の所有で、共通入館券があり斜め向かいに建つ萌黄の館は個人所有(ただし公開管理は神戸市が行う)となっている。
というわけで次は萌黄の館にやってきた。
こちらはその名前の通り萌黄色の外壁が特徴なのだが、あいにくと外壁メンテナンス中で結構なさけない姿になっていた。工事用の足場とネットで囲まれていて、上に飛び出しているレンガの煙突以外何も見えないありさま。
ちなみに昔から萌黄色だったわけではなく、国の重要文化財に指定されたことをきっかけに白い外壁を萌黄色に塗り直して、昭和60年代から萌黄の館と呼ばれるようになった。
萌黄の館は元アメリカ総領事シャープ氏の邸宅。外壁はあれだが館内は問題なく見学できる。
まず目につくのは映画「少年H」のロケ地となったという説明パネル。少年Hは原作は読んで面白かったが、映画は見ていないのでよくわからない。他にNHK連ドラ「べっぴんさん」のロケも行われたらしい。さっき見学した風見鶏の館もNHK連ドラ「風見鶏」で人気爆発したわけだから、もう異人館はNHKさまさまって感じだ。
館内はギリシャ風?中華風?と部分的に思われる箇所もあるが、おおむねアーリーアメリカンというか、そんな雰囲気があった。同じ神戸市が公開している異人館でも風見鶏の館が美術館とか博物館風の雰囲気があったのに対し、萌黄の館はどちらかというと商売っ気が感じられた。やっぱり民間所有だからなんだろうか。
駆け足で異人館を5つ巡ったところで流石に疲れてきた。レナはとにかく喉が渇いたという。そういう時に限って自動販売機が目につかない。
北野町広場をちょっと降りたところに神戸六甲牧場と書かれたソフトクリームショップがあった。
私はここでプレミアムミルクのソフトクリームを、レナはブラッドオレンジフローズンソフトを注文した。最初はレナは飲み物だけでいいよと言ったのだが、私が「牧場」って書いてある店だから飲み物だけじゃなくて、せめてフロートを乗せたら?と半ば強引に決めてしまったような気も。
そして、おかしいなー、本当は北野のお洒落なお店で優雅なランチを食べてから有馬温泉に向かうはずだったのにと思いながら、ソフトクリームをなめなめ元来た新神戸駅を目指して歩きはじめた。
途中で神戸トリックアート・不思議な領事館にトリックアート好きのレナが興味を示したが、時間が押していたこともあり、今回は入らなかった。
午後1時10分、新神戸駅のコインロッカーから荷物を回収して、太閤の湯クーポン券のカード式切符を使って北神急行に乗車、谷上駅で神鉄有馬線に乗り換え、有馬口でさらに神鉄有馬線・有馬温泉行に乗り換えて一駅、終点が有馬温泉駅だった。
最後に乗った有馬線の電車はシートが可愛らしかった。子供が喜びそうな柄がついている。それに最前列だったので前方の景色がよく見えた。
神戸の街からちょっと離れただけなのに緑が深かった。
終点の有馬温泉駅に着くと、ぞろぞろと降りるのはスーツケースを転がしたり大きなリュックを背負った観光客ばかりだった。
今夜泊まる小宿とうじはちょっと変わった宿。素泊まりのみでお風呂も無い。その代わり安い。有馬温泉で二人で9千円未満。つまり一人なら4千円台。
その代わりに公衆浴場が入り放題になる。私としてはどうせ公衆浴場に足を運ぶつもりだったから一石二鳥。有馬温泉の公衆浴場は金の湯、銀の湯と二つあるので、両方の入浴料のことを勘案すれば宿泊料は実質的にさらに安いと考えても良い。
どうしてこんな一風変わった宿ができたかというと、この小宿とうじは一般の旅館ではなく有馬温泉の旅館協同組合が運営しているのだ。
お風呂は無いけど公衆浴場に行ってね、食事は出ないけど温泉街の飲食店に行ってね、その代わり安くしとくよ、っていうことで、温泉街全体の振興に期するというコンセプトに則り運営されている。なかなかどうして我が家の旅行スタイルに合っていると思うし、増してや今回は小食の私とレナのコンビだから豪華な夕朝食が下手についていないことで安く済むならそれにこしたことは無い。
そんなわけで小宿とうじはチェックインも観光案内所で行っている。ただしまだチェックイン時間じゃないので荷物だけ預かってもらうことにしていた。事前に電話で荷物の件を相談したら、預かれますよということだったので。
有馬温泉駅を出るとすぐに湯けむり広場という、座した豊臣秀吉像と何故かパンチパーマのカッパ像みたいなのがある人工池があり、有馬川を左手に見ながら坂道を上がると曲がり角の所に有馬温泉観光総合案内所が建っている。
中に入るとひんやり空調が効いていてホッとする。ここで今夜小宿とうじに予約している客であることを告げて荷物を預かってもらった。
そしてお腹が空いていたので遅い昼食を食べられる店を探すことにした。ちなみに空いていたのは自分ばかりでレナは特に食欲は無いと言った。
探していた店は茶院 葉名木というところ。
まず観光総合案内所の並びで、飲食店やバスターミナルの集まる太閤通りを進み、滝川の暗渠が地上に現れる変形三叉路を左折、するとすぐに公衆浴場の一つ、有馬温泉のシンボルでもある
金の湯が建っていた。
実は今日は金の湯は二週間に一度の定休日なのだ。最初はこの旅行を2日ずれた日程で考えていて、その時は公衆浴場の定休日も確認していたんだけど、変更した後でぶつかっていることに気付いた。
せっかく公衆浴場入り放題の小宿とうじに泊まるのに勿体ないといえば勿体ないのだが、これは明日の朝のお楽しみにすればいいやと開き直った。今日はもう一軒の銀の湯に行けばいいし。
金の湯の周辺は観光客でいっぱい。それも外国人が多い。
浴場はお休みでも太閤の飲泉場は利用できる。ちょっと飲んでみた。しょっぱめの味がする。この時は金の湯に併設された飲泉所だから飲めるのも金泉だとばかり思っていたが、実はこれは銀泉だった(壁に貼り出されている飲泉場の説明パネルにもそう書いてある)。後日、金の湯に伺ったところによると、金泉は飲用に適さないという話だ。
金の湯の左側の坂、湯本坂をさらに上り、最初の十字路を右へ。すると道路は石段に変わる。石段は二手に分かれるがどちらに行ってもさほど変わらない。石段を過ぎたあたりには顔だけがリアルで体は二頭身半にデフォルメされた不気味な飛び出し注意みたいな子供のパネルがいくつか立っている。そして泉源の一つである御所泉源も。御所泉源はきっちり蓋もされて柵から中には入れないようになっていた。
この辺はあまりにも道も狭くて勝手に通って良いのか迷うほどだ。
探す葉名木は近いと思うがなかなか見つからない。
温泉寺の前のねがい坂を上ると有馬の工房と書かれた建物が目に入った。あっ、これは小宿とうじではないか。確かさっき観光案内所で有馬の工房の三階がそれだと言っていた。
外観は思ったより古そうだなという印象。昭和の香りのするコンクリの建物だ。
ところでここまで来たら行きすぎではないかと思った。葉名木はもっと手前ではないか?
さっきの石段まで戻ってさらに頭をひねる私を見かねて、方向音痴のはずのレナがこっちじゃないかと先導した。
そしてまだ通っていなかった鐘楼の隣の石段の途中でその店をようやく見つけた。
「げっ」
店は閉まっていた。定休日じゃないし、営業時間だと思うけどとにかく閉まっていた。店の前にメニュー台は出してあったけど、電気は消えて、入口には鍵が掛っていた。
しょうがないのでたまたま目についた三ツ森 金の湯前店に入った。三津森本舗は有馬温泉名物の炭酸煎餅製造販売で知られるメーカー兼飲食店で、この金の湯前店は「ほっこり饅頭」の暖簾がさがっている店だ。
やっと椅子に座ってくつろげる。そんなにがっつり食べたいとはそもそも思っていなかったので、黒蜜きなこ氷を注文する。めっちゃ美味しそう。
レナは紅茶を所望したが、あいにくとコーヒーも炭酸も苦手な彼女の飲める飲み物は抹茶しかなかった。抹茶にも苦手意識はあるようで、どうもいろいろと不憫だ。
黒蜜きなこ氷は下からかき氷、きな粉かき氷、クリーム、トッピングに炭酸煎餅となっていて、見た目以上にきな粉感が強い味わい。下の上でスーッと消える儚い触感。
で、これが昼食でOKかって? 私的にはOK。だから小食なんだってば。
午後3時ちょっと前、ようやくクーポンを買っておいた太閤の湯に向けて出発。ここは阪神阪急第一ホテルグループの有馬ビューホテルに併設された日帰り温泉だ。有馬ビューホテル宿泊者は無料で利用できる。
この有馬ビューホテル、道順は判りやすかったけど、結構な上り坂。なんだかんだで有馬温泉は坂が多い。太閤通りはフラットなんだけど、その他はだいたい坂。温泉街を移動しているとかなり足にくる。
特に最後のカーブした上り坂は辛かった。どのくらい登れば入り口なのかわかりにくかったことも疲労に拍車をかけた。直射日光もじりじりと頭を焦がすし。
息を切らせながら着いた場所は有馬ビューホテルの入口で、何だかわりと閑散としていて、太閤の湯はどこだろうときょろきょろしてしまった。各鉄道経由であれだけ大きく割引クーポンのキャンペーンをしているなら、もっと日帰り温泉の太閤の湯をどーんと表に出していると思ったのに。
どうも有馬ビューホテルの横を通ってその奥にあるらしい。その通路も幟はいっぱい立っているものの、やっぱり裏道のような雰囲気。たぶん温泉街から徒歩で来る人をあまり重要視していないのかも。
通路を抜けると太閤の湯の正面玄関があった。利用客の多くは自家用車で来るのかと思っていたが、どうもそうではなくて観光バスを横付けにするパターンが多いのかもしれない。帰りがけには中国系のツアー客とおぼしい団体がバスからどっと降りてくるのを見たから。
受付も豪華そう。並べるようにテープが貼ってあったが、今は誰も並んでいない。鉄道の自動改札で使ってきたチケットを出すと更衣室の鍵と館内着を渡された。岩盤浴はどうされますか?と聞かれたが断った。しかし問題はこれからだった。
受付で教えてもらった更衣室に行って服を脱いでタオルを持ってうろうろしたが、浴室のドアが見つからない。なんで?なんでなんだ?焦った自分に通りすがりの人が教えてくれる。ここは更衣室であって脱衣所じゃないよって。
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なんとこの有馬温泉太閤の湯では、脱衣所(兼更衣室)で服を脱いで浴室に行くのではなく、更衣室で館内着に着替えて、そこからわざわざワンフロアー下の脱衣所に移動して、そこで館内着を脱いで浴室に入るというシステムだったのだ。
こんな面倒くさいの初めてだし、そもそもなんの意味があるんだ?
まあ、経営側からしたら何か意味があるのかもしれない。特に館内着で食事したり休憩したりしてほしいって思っているならね。でもここ、基本は日帰り温泉なんだし、お風呂に入ることだけを目的としていた自分には、いらん二重手間にしか思えなくてびっくりしてしまった。なんなんだよー、これ。
更衣室と比べたら脱衣所は狭かったが、浴室はきんきらきんだった。ほー。
この「やりすぎ感」はわりと好き。太閤秀吉をイメージしたのか銀泉のくつろぎの湯と金銀混合泉の天下の湯の間に黄金の茶室ならぬ黄金の蒸し風呂がある。面白い。めっちゃ成金趣味。
ところで私は有馬温泉に入るのは初めてなんだけど、有馬温泉には金泉と銀泉という二種類の温泉がある。金泉というのは日本で最も濃厚な温泉で、赤茶色、銀泉はの方は無色透明。特に有馬温泉に来たら絶対に金泉だけは外せないと思っていた。
さらに階段を上ると露天風呂もある。露天風呂もなんというか派手派手。お風呂が何種類もあって、さらに結構大勢の人が入っていて、その様子が何だか本当に時代劇っぽいというか、高級感は無いんだけど、面白い雰囲気になっていた。
特に天幕みたいなところがあって、のぞいたら中は岩盤足湯になっていて、とにかく正面がまぶしいくらいにキンキラ。もう笑っちゃう。
露天風呂には小さいながら一応単独金泉の浴槽もあった。ひととおり回った後はそこに入っていたかな。一番人気は奥の人工炭酸泉で、そんなに金泉は混んでいなかったから。
お湯は金泉も銀泉もどちらも肌触りはまったく滑らずきっしきし。金泉の色は金というより赤茶色の土のよう、まるっきり透明度が無い濁りの強いもの。一番おもしろかったのは金泉の浴槽に入った後、体に残った水滴があまりにも濃くて、乾くとそのまま肌に色が残ること。水滴の形にまだらに色がつく。本当に濃いんだね、有馬の金泉は。
お湯のにおいに関しては、掛け流し表示のある金泉単独の浴槽も含めて全体的に消毒臭がしていた。
結論としては、テーマパーク温泉としては楽しめると思う。入館料ははっきり言って高いが、神戸からの近さや他に競合する施設が無いことを考えるとしょうがないのかもしれない。そして、お湯としては別の所に入った方がいいんだろう。まあこれから共同浴場にも行くからいいか。
行きは直射日光に炙られて急坂を登るのは辛かったが、帰りの下りはあっという間。でも観光案内所はうっかり通り過ぎて戻る羽目になった。
有馬温泉の観光案内所は親切だ。チェックイン手続きは簡単に済み、鍵と空の封筒が渡された。
さっきも少し書いたが、今夜泊まる小宿とうじは一風変わった宿だ。普通の旅館やホテルではなく、有馬温泉旅館組合が運営していて、部屋を貸すだけなのでサービスが無い。だから安い。結構お高い宿の多い有馬温泉では素泊まりにしても4,500円というのはなかなか破格だ。
そしてチェックイン時の説明も旅館とは違っていて、鍵の使い方、立ち入れない場所(防犯ブザーが作動する)などから始まって、チェックアウトは封筒に鍵を入れて部屋に置いてそのままでいいと。ふむふむなるほど。
小宿とうじの場所はさっき見つけたから迷うことは無い。普段なら建物の1階の蕎麦屋が営業中なのだが、今日は定休日、教えてもらった通り裏口のようなところから鍵を開けて入る。
エレベーターで3階へ。わりと殺風景な廊下。廊下には本棚があって、雑誌や漫画もあったがどれも古そう。たぶん宿泊客が置いて行ったものなのだろう。
だから部屋には全然期待していなかった。
「あら」
期待は良い方に裏切られた。
広くは無かったが、とても綺麗な部屋だった。畳にベッド。これは合理的。窓が広い。洗面台と電気ポット、ドライヤーなどがある。トイレは共同だけどね。
タオル、バスタオル、浴衣もあった。申し込んだじゃらんだか楽天だかの備品には浴衣は書いていなかったので寝間着を持ってきたけどいらなかったか。
それにタオル類を持ち手のついた籠に入れてあるのも気が利いているではないか。100円均一ショップの籠だとしても、それを下げて共同浴場に行くのになかなか便利だと思うのよ。
そう、共同浴場!共同浴場に行かなくては。
今夜の予定は日没を待ってロープウェーで六甲山に上り、神戸の1000万ドルの夜景を見下ろすこと。
しかし、山頂から戻って来た後では共同浴場は閉まってしまう。行くなら今だ。ただし、金の湯は定休日だから
銀の湯へ。
たぶんレナは疲れているし立て続けにお風呂に入ることは好まないから、一人で気楽に行って来よう。
有馬温泉の街並みというのは思った以上に坂が多い。場合によっては石段の所も。とにかく斜面なのだ。
まだまだ続く・・・