みなさんこんにちは。大変お待たせしました。アル天第2部の始まりです。この30話は、一度書き上げたものを上書き消去してしまって(とほほ)、立ち直るのに暫くかかってしまいました。
 先日、スイスに対するハード(テクニック)とハート(思い入れ)のお話がありましたけれども、そう言う意味ではこの旅行記は思い入れ以外は何もない典型でしょう。なにしろ既に2年前の記録(注 この文章自体98年に書かれたものです)で、しかも(皆様が誤解されないように言っておきますが)私はスイスに一回きりしか行ったことがないのです(2回目の目処すら立っていない)。でも「思い入れ」だけだったら負けません。


*** アルプスは今日もお天気 ***

第30話 長い長い峠越えの一日のはじまりの巻


 1996年9月、私と夫、夫の母の3人、あこがれのスイスを旅していた。いやしかし、出発前にあこがれだったのは母一人のはずであった。スイスに着いて4日、今ではすっかり家族3人で夢中になっていた。

9月4日(水) 
 ようやく晴れ渡ったラウターブルンネンの谷を後にして、私たちはベルナーオーバーラント鉄道でインターラーケンに向かっていた。感動の余韻を残したまま、すぐさま鉄道は狭い山あいにもぐり込み、そびえ立つ山々は視界から姿を消した。

「実はずっと気になっていたことがあるんだけど」と私。
「どうしてスイスの電車の窓には乳首がついているの?」
「ちくびぃ?」
 ダンナは電車の窓ガラスに二つ付いた突起物を無粋につかんで引き下げ、窓を開けた。
「これは、窓を開けるための取っ手」
・・・。
「窓ガラスに乳首がついているわけないだろ」
 そりゃそうですけど・・・。乳首にしか見えなかったんだもん。他にもそんな方、いらっしゃいません?

 ここで、少し本日の旅程をおさらいしておこう。
   ラウターブルンネン発 8:08   BOB インターラーケン着 8:30
   インターラーケン発  8:36      マイリンゲン着 9:13
   マイリンゲン発    10:20
          PTTバス グリムゼル峠経由オーバーワルト着 12:30
   オーバーワルト発   14:02 FO/BVZ  ツェルマット着 16:45
   ツェルマット発    17:12   GGB ゴルナーグラート着 17:55
お疲れさまでしたぁっという予定である。
 つくづくハードな一日。
 母の体力が持つかどうかが最大の問題だ。何度も言うようだが、私とダンナの二人だけならばどうとでもなるのである。母を連れて失敗しちゃいましたじゃすまされない。
 ポイントは最終目的地がツェルマットではなくゴルナーグラートというところだ。ゴルナーグラート鉄道の終電は18:00ツェルマット発である。ということは、何が何でもその時刻までにツェルマットに着いていないと予約したホテルにたどり着けないことになる。
 逆算すれば、とにかくオーバーワルト14:02発のFO/BVZに乗る必要がある。しかし、峠越えのバスはハイシーズンには渋滞することもあると言うし、そもそもバスの予約すら入れていない。万が一乗れなかったら…と悩みはつきないのである。
 しかも、この綱渡りのスケジュールの中で、私は一人、密かに更にイケナイことを考えていたのである。

 窓の外の景色が急速に開けてきた。左手の小山の上に見える印象的な建造物はハーダークルムの展望台だろうか。
 と、みるみるうちに前方から不穏な白い塊が近づいてきた。朝もやか。鉄道は唐突にその中に突っ込み、すぐさまあたりは真っ白になった。
 いやな予感。
 みたび、インターラーケンは霧の中だった。視界が閉ざされた中をマイリンゲン行きの鉄道に乗り換える。これから先は初めてのルートだ。

 進行方向右側に陣取り、手荷物を下ろす。ラウターブルンネンに向かっていたときは、ベルンを経由して入ったのでトゥーン湖沿いに線路が走っていた。ラウターブルンネンを離れる今は、トゥーン湖に変わり静かなブリエンツ湖が広がっている。
 とはいえ、たゆたう湖面以外何も見えない。あたりはもやの中で、ほの白い湖面がどのくらいの広がりを持つものなのかもわからない。

 ふいに光が射し込んだ。
 柔らかな朝の光がもやのフィルターを通して湖に届いたのだ。湖面は生き返ったようにきらきらと輝きだして、私は思わずカメラを構えた。
 素人が光を撮るのは難しい。この幻想的な光景も、現像したときにはただの一面の白になる可能性もあると知りつつ、シャッターを切る。
 するとファインダーを通してみるみる光は輝きを増し、まるで魔法にように霧が晴れて、全ての輪郭が明瞭になった。いつしか列車は朝もやを抜けて、よく晴れた青空の下を走っていた。

 ブリエンツ駅で列車は停車した。湖と反対の窓を見ると、可愛らしい蒸気機関車が出発を待っているのが見えた。
「ほら、あれがブリエンツ・ロートホルン鉄道」
「知ってる」とダンナ。「傾いた汽車ぽっぽが下から押して登るやつだろ」
 ちょっと鉄分の混じっているダンナは、本当はこれに乗りたかったらしい。

 さて、そうしている間にも、小心者の私の心臓はドキドキしていた。
 このことは、心配性のダンナはもちろん、まだ誰にも相談していなかった。きっちりスケジュール通りに進めている今回の旅行で、唯一渡る危ない橋だ。計算上は可能なはずだが、どこかでつまずくと、今夜の宿までたどり着けない。まさか母を連れて夜更けにうろうろと宿を探すような羽目にはなりたくない。決心がつかぬまま、無情にも列車はマイリンゲンの駅に滑り込んだ。
 そう、長い長い峠越えの一日の始まりだ。

 …本当に第2部に入ってしまいました。第1部を完結させるのにまる2年近くがかかっているというのに、本当に性懲りもないと我ながら思います。メモや記録のたぐいは手元にいっさい無く、出発前にたてた綿密な計画表と、写真、ガイドブック、記憶だけが頼りです。思い違いなんかも出てくるかと思いますので、変だぞと思ったら遠慮なく指摘して下さい。

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