子連れ家族のための温泉ポイント
- 温度★★☆☆☆ 泉質★★★★★ 泉質は問題無し、温度は浴槽によっては熱めなので注意
- 設備★★☆☆☆ 雰囲気★★★★★ 赤ちゃん連れは健六の湯の脱衣所なら赤ちゃんを寝かせて脱がせるスペースも。
子連れ家族のための温泉ポイント
ランプの宿として知られる青荷(あおに)温泉は、昭和に入ってから歌人 丹羽洋岳に発見されたそうだ。そのせいか、非常にセンスある遊び心をもった宿に思える。我が家にしては珍しく立ち寄りではなく宿泊した宿だが、ここの良さはやはり、ほのかなランプの灯りを頼りに夜を過ごしてこそ味わえるのではないだろうか。
幹線道路から青荷へ至る細道を曲がると、カーブというカーブに津軽弁の手書き看板で道のりや運転への注意などを書かれた看板が立っており、もうアプローチの途中からすっかり青荷のペースに巻き込まれる。
駐車場に車をおいて、さらに歩いて少し道を下る。やがて紫陽花の向こうに目指す青荷温泉が見えてきた。
坂を下りきると、左手に帳場のある本館。右手に2001年正月に新設された真新しい健六の湯。
お風呂は、四種類。
橋を渡った先にある、最も有名な湯小屋、龍神の湯。
窓を開け放つと、正面に竜ヶ滝が見えて、湯船の大岩を龍の頭に、滝を竜の胴に見立てているらしい。大変に雰囲気のある浴室だ。
脱衣所は男女別で、浴室は混浴。脱衣所の出口から、湯船の一部まで衝立があるので、女性でも入りやすい。湯はかなり熱め。それほど深くない。二歳の次女はぎりぎり背が立つくらい。
底から湯が湧いていると記載された本もあったが、ちょっと確認できなかった。
湯は無色透明。ごくごくわずかに細かい白っぽい湯の花が舞う。かすかな灯油臭。味はすっきりさっぱりミネラルウォーター系。コーヒーやお味噌汁に最適なのだそうだ。
次に、龍神の湯のすぐ隣にある露天風呂。
屋根付きで、三方を仕切られているので、たぶん半露天風呂と呼ぶのが正しいのだろう。完全混浴で、しかも脱衣所が浴槽の横を通らないと行かれず、脱衣所自体がひとつしかないため、昼間は女性の入浴は難しい。一日三回、女性専用タイムがあり、立ち寄り入浴時間内にも設けられているので、女性はそれを利用した方がゆっくりできるだろう。
湯口は上からじゃぼじゃぼと投入されている管と、入り口近くの湯面辺りと二つあり、温度が違っているので、龍神の湯よりぬるめ。ゆっくり入るにはこちらの方が適温。
一人用の樽風呂もあり、子宝の湯という名前。
龍神の湯の岩も良いが、こちらの半露天風呂の岩もなかなか良い。
内湯。
女湯の方が広い。龍神の湯と露天風呂に入る勇気の無い女性も多かろうと思い、内湯は女湯を広く取ってあるのかもしれない。
龍神の湯に隠れて知名度が低いが、こちらの雰囲気も素晴らしい。黒ずんだ木の色がなんとも言えない。またここにも守り神のような華やかな良い岩がある。やはり青荷は岩無くしては語れない。
夜などこの浴室を独占して、ランプの灯りの下、木の床に寝転がっていると、こんなに幸せなことはないと思わせる。
内湯入り口の手前にはランプ室もあり、これを見るのも楽しい。
健六の湯。
まだ新しい木の色が、周りの建物から浮いている。いかにも日帰り客のために作られたというような感じは否めない。
だが、入ってみると、龍神の湯 平成版という感じで、明るさがあり悪くない。
脱衣所中央に、座れる広い椅子のようなスペースがあり、赤ちゃん連れはここで脱がせたりできるだろう。こうした気配りは、ここの他の浴室には無いので、子連れ立ち寄りなら、健六の湯が良いかもしれない。
真新しい木の浴槽に、湯口から気持ちよく湯が流れ込んでおり、気分は上々。この内湯もかなり熱め。
なお、健六の湯は女湯のみ、露天風呂が併設されている。浴室右手に入り口がある。
ここの露天風呂は青荷では一番ぬるかった。熱いのが苦手な方、小さいお子さんはここでゆっくりするのがいいかも。
ここは大きな釜もあったが、このときは湯が入っていなかった。
健六の湯の残念なところは、岩を置かなかったところだ。そこがもう一つ、青荷らしさに欠けるように思う。
ちなみに健六の湯には、青荷唯一の自動販売機がある。ここで冷たいドリンクが買えるのは嬉しいが、電気のないこの地で、自販機の電力をどこから引いているのだろう…とちょっと不思議に。自家発電かな?
青荷はこのあたりにしては、立ち寄り入浴受付時間が10時から15時と短い。
それもそのはず、谷あいにあるため、夏場でも午後三時には建物の中は薄暗くなってくる。三時はチェックイン時間であるとともに、ランプの準備をして配る時間なのだ。立ち寄り客に配慮する余裕もなければ、また立ち寄り客のためにランプを灯しているわけでも無かろう。
ここではランプは、必要に迫られた電気の代替品ではなく、風情を出すための小道具の一つのようだ。
どこをとっても絵になる宿。ここには山奥の野趣を期待していってはいけない。
不便さを趣に代えた風流を味わいに行くべきだろう。