◆◇桜の古都巡り◇◆
奈良観光旅行記
17.平城宮跡資料館
平城宮跡の敷地に入ると、遠くの方に映画のセットのような時代がかった巨大な建物があるのが分かった。たぶん大極殿だろう。
その前にまずは資料館だ。
資料館の建物は平たくシンプルで、飛鳥の歴史公園館を思い出した。
開館時間は4時半までだが入館は4時まで。
既に3時半近かったのであまりゆっくり見る暇は無いかと思いながら中に入った。入館料は無料だ。
入るとすぐにインフォメーションルームがある。
足元が地図になっていて平城宮跡やその周辺が俯瞰できる。年配の男性が近づいてきて、ボランティアの説明員だと名乗った。
「良かったら館内の説明をしましょう。といってももう閉館時間が近いし、大極殿は行きましたか? ああ、まだならぜひ大極殿も見てほしいから手短に説明しますね」
返答するまもなくよどみなく説明が始まる。特に何も考えていなかったのだが、ありがたく案内をお願いすることにした。
「大極殿から朱雀門まで一直線に道が伸びていて、左右が左京右京に分かれますが、当時は左が上だったんですな。天子のおられる大極殿から見て右より左側が偉いんです」
そんな話から始まって、奈良時代の服飾、官僚の生活、紙が貴重であったため多くの文書は木簡に記されたこと、木簡も削っては何度も再利用されたこと、再現された当時の机と椅子、正倉院に残された宝物、お手洗いで使用された竹べらなどなど、駆け足ながら興味深い話を沢山教えてもらった。
一番面白かったのは木簡の話。
何度も削って使われたので、削りくずに文字が残っているというのだ。
ちょうどこの平城宮跡資料館の隣に奈良文化財研究所という施設があるのだが、ここでその解読研究が行われているという。
「研究する学者にとっては、まさにこの木簡の削りくずは宝の山ですよ」
自分はたまたま奈良旅行から帰ってすぐにJMOOC(日本オンライン大学講座) gaccoを始めたのだが、初回の講座が東大 本郷和人教授による「日本中世の自由と平等」で、この中で「紙背文書」というものが出てきた。
紙背文書とは、中世(戦国時代など)いらなくなった文書の使える白い部分を切り張りしてお経を書くのに使ったため、使われたお経の裏などに処分された文書の断片が残されていたりするものを指す。
まさに木簡の削りくずも一種の紙背文書なわけだ。
本郷教授は言う。
島国で他国からの侵略をほとんど受けたことのない比較的穏やかな歴史を持つ日本は、古い貴重な文書を数多く残していると。
遠い昔、奈良に都があったころ、当時の官僚が筆で木簡に認めたなんということのない記録が、削られて、残って、今解読されている。
そこから、奈良時代の人々の生活がこうであったとか、こんな事件が起きたとか、わかるんだろうなぁ。
コンピュータでパズルを組み合わせるように解析したり、データを整理したり、蓄積したり・・・当時の人々は自分が書いた文字が1300年後に大事に解読されるなんて考えもしなかったろうな。
この他にも、唐の女性の眉間にできた出来物が可愛らしいと流行し、それが奈良まで伝わって奈良でも流行りの化粧になったとか(セクシーだからって"つけぼくろ"をつけるようなものかね)、そんな話も聞かせてもらった。
そして本当に駆け足で館内を一周し、とにかく入場終了前に大極殿に行ってみてと送り出してくれた。
平城宮跡資料館から第一次大極殿までは本当に遮るものも無い。ただし300~400mぐらいの距離はありそう。