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◆◇長崎旅行記◇◆
小浜温泉湯祭りとハウステンボス

14.ミニ出島






 おじさんはそのまま真っ直ぐ東側ゲートの料金所を出てしまった。
 なんで出島の外に?と思ったら、おじさんは出島の外側の道路に立って足元を指差した。
 「道路のアスファルトがここから色が違ってるでしょ」
 あっ、ホントだ。道路が中央分離帯でもないのにほぼ中央からグレーとマーブル模様に分けられている。
 「この色が変わっている部分からこっちが当時の出島だった部分なんだよ」
 へえー。

 いくら長崎の地図を眺めても、あの扇形をした出島の姿は見つけられなかったわけで、それはもう出島がすっかり埋め立てられてしまったからなのだが、今も過去における出島の形は道路上にはっきりと記されているのだ。

 明治16年から8年間掛けて出島周辺の埋め立て工事が行われ、さらに明治30年から7年間掛けて中島川の氾濫防止のために川幅を広げたため逆に出島の一部が水没し今に至っている。

 その昔の出島の形が道路に残されていることをおしえてくれたガイドのおじさんは、再び東側ゲートから出島の中に入った。
 本来は料金所を通るのだから、せめてチケットの半券を見せるなど必要なのかもしれないが、ガイドのオレンジジャンパーを着たおじさんと一緒だからか、私たちもそのまま通行できた。




左上が道路のアスファルトで塗り分けられた当時の出島ライン



 さて最後はミニ出島。
 ミニ出島とは、東側ゲートに近い中島川側の裏手にある15分の1サイズの出島の模型。
 江戸時代の画家、出島出入り絵師だった川原慶賀の描いた当時の出島の「長崎出島之図」を参考に再現された。

 すっかり埋め立てられて、扇形の当時の面影を残さない出島も、このミニ出島を見れば、ああ歴史の教科書に載っていた通りだと判る。
 館や蔵の立ち並ぶそこは、江戸時代、唯一海外に向けて開かれた特殊なエリアだったのだ。

 ガイドのおじさんはミニ出島からちょっと離れたところにある、塗りの剥げた赤茶色の台を指差した。
 「あの上から写真を撮るといいんだよ」
 なるほど。あの四角い台は、出島の写真撮影用だったのだ。

 ミニ出島には他にもやはり所在無げなガイドさんが佇んでいて、お客さんが来ると説明してくれていた。
 私たちはいろいろ案内してくれたガイドのおじさんにお礼を言って、休憩する場所を探しに移動した。


ミニ出島と旧出島神学校



 屋根の上に十字架を掲げた旧出島神学校の1階は、売店と休憩スペースになっている。
 自販機で飲み物を買った後、子どもたちがスタンプラリーの残りを埋めたいというので、まだ行っていなかった施設を早足で回った。
 スタンプラリーは入場ゲートでもらったちらしにスタンプを集めると粗品をくれるというものだ。

 明治の出島ゾーンで神学校と並んで目立っているのは旧長崎内外クラブの建物。
 ここの一階の表側はレストランになっているが、裏手の方は体験コーナーになっていた。
 何を体験できるかというと、当時のビリヤード、当時のバドミントン、当時のかるたやパズル、そして羽ペン。
 子どもたちはパズルと羽ペンを体験した。
 そしてさらに二階の居留地時代の展示をひと通り見学して、出島見学は終了。

 なんだか予定より随分長く掛ってしまった。
 スタンプラリーの景品を引き換えたら、急いでお昼ご飯にしないと。
 既に時刻は1時半を回っている。
 晴れてじりじりと気温も上がっていて、空腹グロッキー寸前。


当時のビリヤード、歌留多、羽ペンなど体験できる


デジマノキ





2-15長崎の中華街へ続く


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