◆◇桜の古都巡り◇◆
京都観光旅行記
さて、寂光院の門を潜ると正面に建っているのは本尊の地蔵菩薩立像を安置した本堂だ。
靴を脱いで中をのぞくと、先ほど写真を撮っていた夫婦を含め二組ほどの先客が菩薩像の前に座り、尼僧の説明を聞いているところだった。
「どうぞお入りください」そういざなわれて私たちも足音を立てないように本堂に入る。
既に説明はかなり進んでしまったようだ。
寂光院の縁起と建礼門院及び阿波内侍のお話のようだ。
寂光院も建物の中は撮影禁止なので写真は庭園を中心に
建礼門院の話はさっき書いたので、次は阿波内侍の話を。
寂光院の初代住持は聖徳太子の乳母の玉照姫で、三代目住持は建礼門院徳子だ。阿波内侍はこの二人の間の二代目と呼ばれる。といっても初代と二代目の間は500年ほど空いているだが、この間がどうなっていたのかは自分にはよく判らない。
阿波内侍は藤原信西の娘で崇徳天皇の女官、建礼門院の侍女として仕えた女性とされている。ということは建礼門院と同時代の人だ。
大原女(おはらめ)、つまり大原の観光ポスターなどに起用されている紺の着物に絣の前掛けを赤い帯紐で縛って手甲脚絆、そして白い手ぬぐいを巻いた頭の上に薪の束を乗せたスタイルの女性のモデルがこの人とされている。
質素倹約をモットーとし、今でこそ大原の土産として知られる紫蘇の漬物、つまりしば漬けを始めたのも阿波内侍だそうだ。
彼女は建礼門院を支えて寂光院に尽くした。
この本堂の中央に坐す六万体地蔵尊の両側に阿波内侍と建礼門院徳子の像が姉妹のように祀られている。
見上げると六万体地蔵菩薩立像の白くふくよかなお顔は世の幸も不幸も卓越して信じれば極楽よと地上を見下ろしているかのように思えた。
説明が終わったので庭に出てみた。本堂から繋がる渡り廊下からのぞむ四方正面の池とその周囲の庭園だ。
ここも綺麗に小さくまとまった庭園で、閉ざされた空間という感じはあるが、どこか女性らしい軟らかさを感じる。
本堂の反対側にも池があって、こちらは汀の池と呼ばれる。
池のほとりには千年姫小松という既に枝はすべて無く腕をもがれた幹だけの様相の老松が根を張っている。この松もまた平家物語に語られた松だと言う。
汀の池の奥にある諸行無常の鐘など見て、そのわきの石段を降りると、先ほど行きに見た宝物殿と売店の所に出た。
鳳智松殿と名付けられた小ぢんまりとした宝物殿の中に入ると冷房が効いていてひんやりと涼しい。
この宝物殿の中で初めて知ったのが、寂光院が火災で焼け落ち再建されたことだった。
日本の古い建築物は木造で燃えやすいことは判っているし、特に京都には平安時代あるいはそれ以前からの歴史ある名所が数多くあるが、その多くが過去火災にあって場合によっては何度も再建されていることも知っている。こうして一昨日から京都を巡っていて、神社仏閣のどこも火災を非常に恐れ、一定の間隔ごとに赤い防火バケツを忍ばせてある、それも知っている。
だが寂光院の火災は平成に入ってからだった。
もちろんそれ以前にも安土桃山時代から江戸時代に掛けても再建された記録があるが、とにかく平成というと本当に最近のことだ。しかも放火だと言うではないか。許せない。
いまだに犯人は捕まらず、しかも既に時効が来ているそうだ。
古いものは失っては二度と戻らない。
いたずらで火をつけたのか、他に理由があったのかわからないが、とにかく悲しいことだと思う。