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◆◇桜の古都巡り◇◆
京都観光旅行記

12.東本願寺の別邸 渉成園











 歩いて歩いてぐったりしながらもやっと渉成園の参観者入口にたどり着いた。
 大きな武家屋敷のような黒塗りの門が開け放たれていた。
 正面左に調和のとれた枝垂桜が、右に受付があった。
 先ほど渉成園は東本願寺からも近いと書いたが、実はここは東本願寺の別邸になる。正式には飛地境内地と表現するらしい。
 といってもここは宗教施設ではなくどちらかというと庭園となる。





 京の町の七条から上がったところに、西には西本願寺、東には東本願寺が建てられている。元々は本願寺は鎌倉時代に親鸞が教えた浄土真宗の本山である。
 豊臣秀吉が保護し堀川の寺地を十一代顕如上人に寄進したことから大坂(大阪)から移転してきた龍谷山本願寺が、現在、通称西本願寺と呼ばれている寺院になる。しかし顕如没後、秀吉は長男の教如ではなく三男准如にこの本願寺、つまり後の西本願寺を継がせた。

 一方、西本願寺を継げなかった長男教如を立てて真宗本廟こと通称東本願寺を、龍谷山本願寺こと通称西本願寺から分裂させたのは徳川家康だった。

 そもそも教如、准如兄弟が分裂するきっかけとなったのは、遡って父の顕如が住職であった時代の織田信長への対応であったとされる。
 分裂前の本願寺は顕如の姉が武田信玄に正妻として嫁ぐなど政治的な権力も大きく、教団は戦国大名に匹敵する一大勢力となっていた。
 織田信長と仏教の対立は比叡山延暦寺焼き討ちがよく知られるが、この本願寺勢力もまた一向一揆として石山合戦などで信長と交戦した。
 本願寺分裂の歴史は戦国時代末期の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という三英傑と密接に関わり合いがある。

 渉成園はその分裂した東本願寺の十二代教如上人の後を継いだ十三代宣如上人が、江戸幕府三代将軍徳川家光から寄進された土地を隠居後の居住地として庭園を整えたものだ。
 中国の古詩「帰去来辞」の一節「園日渉而以成趣」から渉成園と名付けたという。
 またの名を枳殻邸(きこくてい)。こちらは周囲に生垣として枳殻(からたち)を植えたことからそう呼ばれるようになった。


さあ渉成園の庭園へ




2-13渉成園逍遥へ続く


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